自然農の心と実践

自然農の心と実践 『川口由一』著

1. 大いなる生命の中の私たち = 生命に添う自然の農
2.自然農の実践 = 自然農塾、自給自足者、家庭菜園者、専業農家等々の誕生
3.自然農の心


1. 大いなる生命の中の私たち = 生命に添う自然の農

 人類は数千年の昔から、生きるための食べ物を栽培するようになりました。それまでの長い間は、自然界からの恵みを上手に受けとる術を身に付けての採取生活でした。

 この地球上でいろいろな人々が生命を重ね、生死を巡らせてまいりましたが、時を前後して、だいたい相似た姿でこのように栽培生活へと移行・変化いたしてまいりました。もちろん今日なお採取生活中心の少数民族もいると聞きます。

 この日本の大地においては、採集生活に栽培を取り入れるようになったのは、そんなに遠い昔ではなく、数千年前からで、当初は自然の摂理をよく理解した上での栽培農業であったと思われます。

 やがて稲作を中心とした栽培農業が大きくひろがり発達することになりました。人間の知恵と能力によって大地や、それぞれの作物や、道具にどんどん手を加えるようになりました。栽培技術の向上、灌漑、治水、土木の発達、便利な道具、機械の発達、品種改良 ・・・ 等々によって栽培農業は大きく発達し、今日の農耕文化が栄え定着いたしてまいりました。特にここ数年間においては人間の科学する知恵と高度技術能力により、飛躍的な変化発展をいたしました。それが自然から、あるいは生命の営みからの遊離ともなり、自然法則への反則を深くしていくのもとなりました。

 多種、多重の化学肥料・農薬の開発・使用、多量のエネルギーを消費しての大農機械化農業、大地から離れての水耕栽培、あるいは工場での野菜栽培 ・・・ さらには染色体を操作して新品種の開発や害虫の天敵を新しく生み出す ・・・ あるいは一つの細胞を取り出し培養・増殖させての利用 ・・・ 等々、人間の都合や人間本位の思いと判断から、生命誕生までに手を出しての化学農業へと大変化であります。この大きな変化・発展が真の発展かどうか、私たち人間に本当に幸福をもたらしてくれるものであり、この地球上でいつまでも平和に暮らし続けてゆける農業であるのか、問わねばならぬものでありました。

 しかし心配をよそにこの流れはヨーロッパからアメリカ、日本、アジアの国々に及び、さらに世界の各地に ・・・ とその勢いは急であり、地球上のあちこちにこの化学農業が大きな強い勢いで広まっております。

 本当に人類はこれでだいじょうぶだろうか ・・・ 宇宙の法則を究めること出来ず、生命あるものとしての生き方を悟ること出来ず、生命の本体を観ず、知らずして自然から遊離し ・・・ 人間本位の浅い、狭い、愚かな思慮分別で ・・・ 自然の一部である私たち人間だけが、欲望のままにこんな盲滅方を重ねてのこの発展は許されるのだろうか ・・・ このまま進んで私たち人類は生きてゆけるのだろうか ・・・ と心ある人が危惧するところであり、生命からの不安を抱くところでありました。・・・ やはり宇宙生命根源の働き、天地自然の摂理や、自然界の法則や掟、ここの生命の営み等々、最も大切な生命の法(のり)を見失ってのこうした人間の行為は、無限大の働きをするすばらしい地球自然界といえども許容してくれるものではありませんでした。

 早くから化学農業の栄えたヨーロッパにおいてその弊害が現れ、一部の人たちからその誤りとゆきずまりに気付き始めたのであります。大地の荒廃、水や空気や土の汚染 ・・・ 等々の環境破壊は生命あるあらゆるものの存亡にかかわるものであることに気付き始めました。多大のエネルギーを必要とし続ける農業。一を生産するのに一よりも多くのエネルギーを必要とする農業やハイテクノロジー農業は有限のこの地球において永続できるものではないことにも気付き始めました。

 さらには人体や食べ物に直接、農業、化学肥料からの毒物が混入、侵入するという恐ろしいことは私たち人間の生命に直接危害をもたらすものであることにも気付き始めました。多くは侵されてしまってからの気付きという不幸な形での気付きでありました。

 人類のこうした行為は地球生命圏の大調和を乱し狂わせて、人間はもちろんのことあらゆる生命の生存を脅かすものであります。本来の自然界には決してありえないこうした人間の誤った行為によって生ずる環境破壊や汚染、そして生命体の被害が日々に増え続けている今日もなお科学文明、物質文明の発達は著しくて危機を深くし、解決不可能を思わせる難問を生み、西に東に、北に南に山積みしての大加速であります。

 もちろん農業のみならず私たち人間のすべての方面から招いてる問題であり、危機であります。農業がもたらすもの以上にはるかに恐ろしい破壊力を持つ原子力の利用や強大な武器の保有 ・・・ 等々のことを思うと、あらゆる方面における私たち人間のやっていることの根底から問い直しをひとり一人が迫られています。

 こうした中で早くに近代化し、早くに弊害に直面したヨーロッパから有機農業の思想哲学が生まれ、実践法が見出されました。農業においての化学離れの始まりであります。化学肥料、農薬を使わず、有機質肥料を使用する農業であります。

 もちろん日本にも入ってまいりました。化学農業の発展著しかった日本においても、その弊害に気付き過ちに目覚めた人々によって迎え入れられ、実践者もかなりの地域にわたって定着しております。消費者、生産者、指導者、共の目覚めであり、今日に至っては遅ればせながらも行政サイドの気付きとも施政ともなってきております。

 そうした中でさらに奥深く、根底から問い直す思想哲学が日本から生まれたのであります。

 化学思想のもと、物質文明の発展へとひた走る日本において、化学農業への弊害にいち早く気付く人がいました。いつの世にも世の流れを越えた覚者がいて暗闇へ流れる人々に警鐘を鳴らすようであります。世界救世教の教主・岡田茂吉氏、農業技術指導者だった福岡正信氏、藤井平司氏 ・・・ 等々であり、氏等によって自然農法、天然農法の思想哲学が世に出されました。

 その思想哲学が、特に福岡正信氏の著書の英訳や数ヶ国語訳により欧米やアジアの各国に行き渡りました。そして多くの人々に感動を呼び、氏の示す方法に添って実践を試みる人々もありましたが、具体化・定着化 ・・・ へとの進展をみるまでにいたりませんでした。

 このような事情から、自然農法は日本に ・・・ と多くの知識層の人々や指導者、さらに農民からも日本に思いを寄せられ訪問されるようになりました。もちろん日本においても、この自然農法の思想哲学に感銘を受けた次代を担う青壮年者達から実践を試みる人が出てまいりました。気付き、目覚めた青壮年者達は福岡氏の示される方法に添うもの、あるいはそれぞれの思いや、工夫によって実践、そして普及、定着を願っての行動でもあります。

 しかし日本でも実践には困難が伴い三年五年と続かないのが実情でありましたが、ここ数年ようやく先覚者を越えての優れた知恵者、実践者が出てまいっております。もし自然界生命界のことを深く観ることが出来、この地球生命圏での農のあり方を正しく悟ってゆくことが出来れば誰にでも簡単に、そして楽しくやってゆけるものです。それは何よりもひとり一人の目覚めと悟りにかかっているものゆえに、困難が伴いました。

 自然とは、生命自ずから然からしむるところです。自然界凡ては生命自ずからの営みによって現れているものです。生命の成せるものです。大いなる生命の成せるものであると同時に個々の生命の成せるものです。総ては生命の中の生命達の出来事であり、なにもかもが生命自ずからです。

 大いなる宇宙生命は容赦なく ・・・ の営みです。一つ一つの生命を生み、育て死なせ、生み育て死なせ ・・・ て休まることなく生死に巡らせてまいります。あるいは生きるために他の生命を食べさせ、食べらさせ ・・・ て生かし、死なせて、大いなる生命のおもむくままの運行であります。一つ一つの生命達はこの大いなる生命に応じて自立自営し、我が一生の営みであり、生死の巡りを行ってまいります。

 自然が向こう側にあるのではなく、もちろん私達人間も自然であり生命そのものです。お米しかり野菜しかり田畑の草々虫達しかり土しかりそして一枚の田畑全体しかり ・・・。こうした事々の理を理解しての自然農は耕さず、肥料・農薬を用いず草々虫達を敵とせず、総てが同根一体の営みとする大自然の大いなる営みに任せると同時に個々個々の生命に添い、必要に応じて手を貸してゆく農であります。自然に任せきって何もせず、自然のままの森や林の如くとし田畑から食べられるものの採集生活ではなく、任せきると同時に手を貸してやる栽培農です。

 春から夏、秋、冬へと四季の移りを通して田畑のお米や野菜の姿を観ながら、あるいはひとり一人の実践を通しての深い学びにしてゆかれることを念じています。みなさんと言葉を交わしながら、時にはスライドを通して、ビデオを通して、写真を通してあるいは文字を通して、自然界の出来事、その摂理、生命界の法則や掟、宇宙生命根源の営みと共に個々の生命の営みをも深く理解してゆくことが出来ればと思っています。

 学びの深浅、多少 ・・・ はひとり一人に任されております。心身を整えて、自然農の心を悟り、自然界を現出する生命根源の営みを聴きわけ、よみとれる知恵に目覚める ・・・ 真の理を解せる鍵を手中にする ・・・ を学びの第一としてください。
 二には次の種子を得る。
 三にはその上になお、お米や野菜を立派に育ててゆけることが出来れば素晴らしいです。さらには精神崇高にして相似た志を抱き情緒豊かにして知恵に目覚めた人達との多くの出逢いに恵まれてゆくことが出来れば、この世におけるこの上なき喜びです。

 僕も常に学びであり、育ち変化してゆく日々です。現行の化学農二十二年間、自然農二十二年間、この両方の体験からみなさんの必要に応じつつ共の学びでありたく思います
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2.自然農の実践 = 自然農塾、自給自足者、家庭菜園者、専業農家等々の誕生

 自然農は今日生じている多くの難問題の生じぬ、生命(いのち)に危機を招かぬ農であります。生命あるこの地球で、多くの生命達と一体となり、人も共存共栄、生死を共にしてゆける農であり、平和に暮らし続けてゆける農のあり方でもあります。

 日本ではここ数年、この自然農に関心を持った人々が都市生活者の中から増えてまいりました。科学文明、物質文明の発達著しい都市から、この発展に危惧を抱くようになり、その過ちの気付きと目覚めが始まっています。見捨て、見失ってしまった生命にとって最も大切なものをとりもどそうとする意識の変革が、ひとり一人の中で起こっています。さらに一歩進んで今日の発展を自分の生き方で問い直し、正し直して自然の生命に添った自然生活を求め、実践を始める人も出てまいりました。当然、食の自給は自然農で ・・・ との思いを抱いてのものであります。

 食の自給は生きてゆく上での基本であります。我が身を治め、一家を建てるに、一国を建て治めるに、この自給自足を基本とした農を柱とせずして建ち得ぬことは時代を超え、諸々のいかなる事情をも超えて変わらぬ普遍のものです。

 だが要(かなめ)のこの柱を見捨てた国政農政を敷き、多くの人々は農も農民をも軽んじています。主流の農もまた生命を大切にする農本来の心を見失った化学農業、大機械化農業、ハイテク・バイオ農業へと大きく変わっています。農民もまた多くの人々の生命を預かる自覚と誇りを捨てて、ひたすらお金を得るための農へと変化いたしました。人々は生命よりも物の豊かさを、便利さを安易さを、 ・・・ 自然生活よりも人工の生活を、農山村よりも都会を ・・・ と大変化であります。そして今日なおその流れは急であり、その勢いは大にして農の荒廃一段と深く、同時に都市の危機もいちだんと深くして多くの問題を重ねています。

 科学文明・物質文明の発展は、外には生物存亡の危機を抱え込み、自(みずか)らの内には精神の荒廃を招き、魂を曇らせ、心を病ませ、生命を衰えさせて病気に陥り、不安を胸にする今日です。世界のあちこち、地球上のあちこちで同様の不幸に陥っているものと思われます。そして今後も益々不幸な人々が増え続けてゆくものと思われます。

 近代化著しいアジアの国々においても、生命を軽視した発展へ発展へと走り、貧しい農山村からは都市へ都市へとあらざる富を求めて流れています。その多くの人々は救われることなくさらに貧に落ち、路上にさまよい不幸に見舞われています。多くの生命が栄えるこの自然界が ・・・ 生命豊かな山河森海が ・・・ 静にして平和な農山漁村が、最高最善の宝庫であり平和を約束してくれているところであることを忘れての不幸であります。生命あるものとして正しく生きてゆける知恵曇らせ、能力衰えさせての不幸であり、この自然界の恵みを上手に受けとる術を見失っての不幸であります。

 地球はもとより楽園です。生命ある総てのものに必要なものは過不足なく用意されています。総ての生命達は自給自足、自作自受 ・・・ です。生命自(おの)ずから給り自ずから足りるところに生かされており、自ずから作られ自ずから受けてゆけるところに生かされています。地球はまさしく宇宙の楽園、生命達が大いに生きること出来る舞台です。生命達は大いに生きてゆける知恵と能力を宿しています。人もまた自給自足、自作自受です。それに必要な知恵と能力は与えられています。ひとり一人が家が、 ・・・ 村々、島々、国々が ・・・ そして人類はこの地球上で自給自足です。真の平和、心身の平安と健康は生命ある私達にとっても大いなる宇宙自然の中に約束されていることであり、農もまた生命の営みからはずれ、天地自然から遊離してはあり得ぬことゆえ当然のことであります。

 自然とは生命自ずから然(し)からしむるところのものです。自然界は生命が生命自ずから現出しているものです。生命の出来事です。生命の中の生命達による出来事です。

 どこまでいっても生命です。なにもかも生命です。私達人類も生命の外に出ることなく、生命からもれることなく ・・・ 、そして生命そのものです。お米しかり、麦、トウモロコシ、馬鈴薯 ・・・ しかり。何もかもにも生命があり、何もかもが生命のまま。人が生きるに必要な糧を得る農もまた生命のままの中にしかありません。生命の農、自然の農の中に生き続けてゆける人類の道があります。思い清く心澄ませてよく目覚め、大いなる知恵のよくよく働く人とならねばなりません。生命に添い、従い、任せて生きる中に最善の生き方、死に方、暮らし方があります。

 ところでこのように自然農がいかに正しくて真に優れたものであり、それしかない農のあり方であり、人類に是非に必要なものといえども、今日主流の化学農業から自然農への移行・変革は政治による制度の改革や、一人の人間のかけ声によって成るものでもありません。政治がいかであれ、他がいかであれ、自(みずか)らの気づきと目覚めによるひとり一人の内からの変革が不可欠であり、一歩一歩の実践によってはじめて実現していくものです。政治にまつことなく、他にたのむことなく ・・・ 自ずからの目覚めと実践が大切であり基本です。

 いろいろな背景、いろいろな事情があって時が流れ、人々が生きてきました。今日もいろんな人々がいろんなことをして生きています。
 そして人類は愚かではありません。生命からの目覚めと意識の変革がひとり一人の中で始まっています。主に都市生活者の中から始まりました。ほとんど生命を観ず識らず ・・・ 生命あることすら識らずに


--『 すんません、まだ途中までしかでき上がっていません。この続きは頑張って書き写しますのであとしばらくお待ちください。 』--

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3.自然農の心


 地球が生まれたのは約45億年前で



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