■■自然農体験記2月
2月9日。2年目の赤目の山。
どうしてだろう、なんだかうれしい。たった二ヶ月来なかっただけだけれど、帰ってきたんだ、今年もやるぞ! という氣が身体全体に満ち満ちている。
自分のたんぼを目の前にして、どうしても血が騒いでしまう。うん、わくわくしてる。希望に満ちた旅立ち、クサイけれどこんな表現が良く似合う気がする今日の私。稲刈りが終わった時点で播いた「もち裸麦」と「小麦」が顔を出しています。これは両方とも直播きで、適当にばら播いたもの。色々と手のかかるコメに比べて、なんとありがたいことか。まあ、コメの苦労(そう、苦労)も貴重な勉強ではありますが。冬という季節のせいもあると思いますが、草も刈ってないのに麦は順調に育ってくれているようです。ちょっと気は早いけれど、うまく収穫できそな予感。
今月の作業自体は特にありません。新規の人の田畑の割り振りや今年度の予定などの事務的な取り組みが中心です。これをきちんとやっておかないと一年が台無しになるかもしれません。とりあえず予定を組み、目標・目的を確認することはどんな場面においても大切だと思います。この「赤目自然農塾」は学びの場。田畑の作業だけではなく、人との関わり合いや、なりより自然との関わり合いを学ぶ。これが「赤目自然農塾」たる所以。
昨年借りた畑を見に行ってみる。枯れ野原。まだ、なにも植えてはいませんので。それにしても青草が生えていない。まったくと言っていいほど。おそらく、ぼうぼうに生えていた笹を刈り倒しておいたので、それがうまくマルチの役割を果たしているのだと思います。この大量の笹が次第に朽ちて行き、また次の様々な生命の母胎となる。微生物あり、昆虫あり、小動物あり。そして、私たちヒトもこのめぐりの中に生かされて行く。自然という奴はできすぎているとしかいいようがありませんね。
午前十時すぎ。川口由一さんのお話が始まります。今月は自然農の基礎、草の刈り方、鍬の使い方から教えて下さいました。とにかく、川口さんのいわれる自然農というものは「耕さない」ことに尽きます。他にもさまざまあるのだろうけれど、これが「一番の要」だと強く強調されます。耕さないことによって、土が軟らかくなり、耕す必要がなくなる。なんだか禅問答のようだけれど、耕さないと本当に土がフカフカしてくるのです。ただ、耕さないだけではなくて、草々をその場に刈り倒し、草をその場でめぐらせる。そうすると、朽ちていった草花やそこで生活していたさまざまな生き物の亡きがらの層ができてゆきます。耕すということは、このめぐりの歴史を否定してしまうことであり、また現在も続く自然のいとなみを破壊することにもなってしまうのです。この理(ことわり)はどんな場所でも変わりはないと川口さんはおっしゃいます。
「草や虫は敵ではないし、まして決して害でもない。それぞれがそれぞれのいのちを全うしている。これで調和、大調和。完成されたもの。それに任せたらいいんですよ」。
川口さんは簡単にいう。
正直に告白しますと、この「任せる」ということは本当に難しい。ついつい手を加えてしまう。そのため後にさらなる手を加えなければならなくなります。例えば、草は必要以上に刈ってしまうと、何度も何度も刈る必要が生まれてくる。ある程度放っておいて伸びきったところで刈ると、その草がうまくマルチの役割を果たし草の成長を抑えてくれるのに。また生き物たちのいとなみも充実したものになる。つれづれなるままに、これは人間関係にもいえるなあと、ぼんやり考えたりもしてみたり……
草を刈るときは、前進しながら刈って行きます。これは鍬も同じ。少し鎌を土の中にいれ、草を刈るようにします。根っこは土の中に残しておく。根っこを引き抜くと、耕すのと同じになってしまうから。また土も豊かになってゆきません。根っこは生きているから、また草は生えてくる。そうしたら、その都度、その都度草を刈ればいい。そうこうしている内に草も弱ってくる、ということです。なんだか面倒なように思う方もいるかもしれませんが、畑を常に草のないきれいな状態にしておく必要はありませんので(きれいにしなければならなかったら月イチ農業なんてできっこない!)、草はある程度放ったらかしておけばいいし(お百姓さんに叱られますね)、草刈りに面倒くささまったく感じないのです。いやむしろ楽しかったりしてます、はい。
私の畑には湿りの多いところと少ないところがあります。これをよく考え野菜の種を蒔かなくてはなりません。もちろん、連作障害のことも考慮に入れて。とりあえず今月は、戴いたネギの苗を植えることにしました。湿りの多い方に植えたのですが、ネギはどちらを好むのだろう。これは様子を見るしかありません。
私は畑を5つのブロックに区切ることにしました。縦1メートル×横4メートルの畝を4つと残りの大きな1ブロックです。隣の方は平畝でやっているし、すこし離れた所の方は細かく畝を作っています。それぞれにあった自然のやり方が楽しい。私の5つ分けは以前から温めていた「とっておき」なのです。このように畝を作ったのには、きちんと理由があるのです。畝があると溝のところを歩くことができますし、作業もしやすい。また作物の場所も確認しやすい。ということは連作する際も判りやすい。そして幅広の畝はそこに3つの作物を植えるため。図示してみましょう。
4m\
------------------------------------------
** ** ** ** ** ** **
++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ 1m
\\\ \\\ \\\ \\\ \\\ \\\ \\\ \\\
-------------------------------------------
となります。これが4つあり、12種類の作物が作れるというわけ。1メートルはどうしてでしょう? これはちょうど両側から手の届く範囲だから。この幅が2メートルもあると真ん中あたりは手が届かなくて作業できなくなってしまうのです。想像してみて下さいな。3種類というのは、なるべく野菜を混作したいから。本来ならば、もう数え切れないくらいの果菜が果物が根菜、菜っぱ類、豆類などが渾然一体となっているのが良いのかもしれませんが、私はとりあえず畝をつくり、ちまちまと3種類ずつ植えようという作戦でいます。この混作も真ん中に根菜、両隣に葉物とか端から根菜、果菜、葉物という風に工夫していくつもり。では、残りの広くとった場所は?というと、ここにはソバかヒエ・アワ、または大豆などの豆類を播こうと思っています。陸稲を播こうかとも考えましたが、おコメはたんぼで作っていますので遠慮しました。
ここで一つ質問の声が上がるかもしれません。畝を作ったという事は、畑を耕したのではないか、というもっともな声が。う〜ん、確かにそうなのですが、これは個々人の思いにもよると思います。私は畑に鍬を振るいました。本来完全なる自然の世界に人間の通る道を開いてしまったことになります。人間の欲のために自然を壊しました。こうしたことから自然を省みなくなった人類による悪しき文明が始まるのだ、なんておっしゃる方も出てくるかもしれません。私はこれを必要に駆られて行いました。理由は上記の通りです。うまく説明することはできませんが、自然と人はともに栄えることができると思っています。人は自然に何か与えることができると信じています。あいまいな表現で申し訳ありません。
というわけで、お判りのように構想だけは広がるばかり。どこまで実現するのでしょうね。また、完全なド素人が月に一度しか畑に行かずに野菜が取れるのか。これで野菜が普通に収穫できたら、凄いことになるような気がしているのだけれど。そう思いませんか? とりあえずは勉強のつもりですけれど、密かに収穫狙ってますよ。
自然農体験記2月 終わり
■■自然農体験記3月
3月9日。まだ山は寒い、かなり寒い、疑問に思うほど寒い。朝晩の冷え込みがきつい。日中は暖かくなると思うのですが。たんぼの麦は、春の色が少し顔を出している程度。確かに先月よりは育っている気がしますが、寒いせいかぐんぐん成長しているといったようなものではありません。先月に比べ精一杯背伸びをした、そんな感じです。それにしても不思議。月に一度しかここへ来ませんので、まったく面倒など見ていない。それなのに立派に成長している麦。簡単、らくちん、最高。草もあまり生えていない。今月もこのまま放ったらかしにしよう。この時点で収穫を確信していますが……。いやまだまだ、猪もいるし天気も気になる。でもやっぱり放ったらかし。
畑を見に行く。う〜ん、いい感じ。といいますか、草が生えていないから刈る必要がない。これがいい感じなのです。笹のマルチがよほど効いているみたい。本当にものすごい量の笹ですから。場所によっては3センチくらいの厚さがあるのでは。先月植えたネギもやや細目ではありますが、しっかりと育っているようです。ところでネギの収穫はいつなのかな。
そんなこんなで川口さんのお話。新規の人も多そうです。皆食い入るように川口さんの作業姿を見つめ、お話に耳を傾けています。私もその一人。今月は主に野菜の種蒔きについてのお話しです。この赤目の山は平地よりもやはり気温の上昇が遅い。そのため、種蒔きの時期も少し遅くなります。月に一度しか来れない私はそのあたりにも注意して作物計画を立てていかねばならないのです。
赤目の山での種蒔きの時期は以下のようになります。3月蒔きは、ごぼう・春大根・春人参・ラディッシュ・ウド・ミョウガ・菜っぱ類(みつば・サラダ菜・レタスなど)、春キャベツ・春白菜など。4月蒔きは、ヒエ・アワ・キビ・トウモロコシ・いんげん豆・しょうが・ナス科のもの・落花生・モロヘイヤ・レンコンなど、となります。これはあくまでも一つの目安であり、山全体では日当たりの良いところ、良くないところ、水はけの良いところ、そうでないところなどさまざまな条件が絡んできますので、とらわれないことが大切。
種の蒔き方もお話しして下さいました。すじ蒔きや、ばら蒔きの時の種の蒔きかたです。これには2通りあります。殻の付いた種とそうではない種の場合。まずは、殻つきの場合から。
土の上にかぶせてある草ぐさをどかす
↓
鍬で土の表面を削る感じにする。これは夏草の種をどかす意も含んでいま
す。土が硬くなっている場合のみ、鍬で土をほぐす。この時耕さないよう
注意が必要ですが、そう神経質になりすぎるのも考えもの。
↓
土が浮いたところを鍬でポンポンと叩いて落ちつかせ、種を蒔く。
↓
土を種が見えない程度にかぶせて行く。この時使う土は畑表面の土ではな
く、その下のものをつかう。表面の土には夏草の種が散っているから。土
は両の手で拝むようにこすり合わせ、ほぐしながらかぶせてゆく。
↓
どけておいた草ぐさを敷く
次に殻なしの種の場合。
これは殻つきと手順は同じであり、ただ土をかぶせる必要がないという違いだけです。種をまき、その上に草ぐさを敷きます。完了。
こうして播いた種ですが、こうした作業は早朝か夕方に行うようにすると良いということでした。つまり直射日光に土をさらさないということです。また畑に水撒きはしません。草が生い茂り、過去の草ぐさを敷き詰めていますので、適度な湿りが保たれるのです。「土を裸にしない」。これも川口さんがよくおっしゃられることです。
タネ。ちょっと知恵の働く人なら購入する時点で悩むに違いありません。ハイブリット、そうF1(エフワン)です。F1は二つの品種を交配して生まれた一代雑種。一代限り両親の優性遺伝が現れる品種です。F1から採取した種(F2)は親の性質を失っていますから普通、栽培されることはありません。栽培すると、菜っぱ類なんてすぐに交配してしまって、面白いものができあがるそうです。でも、川口さんはそれでよいといわれます。何代か採取していると、その土地のタネとして固定され、普通に使えるようになるそうです。私はこの言葉を信じて実践してみようと思っています。自家採取は基本だと思っていますので。
種には早生・中生・晩生とがあります。これは地域によって使い分けると良いとのこと。夏が短いところは早生を。長いところは晩生を。早生と晩生を一緒に使ってももちろんなんの障害もありません。ただ早生だけ早く戴けばよいことです。
お話を聞き終わり、山をぶらぶらしていると、ジャガイモを植え付けている人を発見。種イモがたくさんあるそうですので、少し分けていただきました。感謝。飛ぶようにして我が畑へ。ジャガイモは湿気を好まないので、乾燥地に植え付けます。大体30センチ間隔。このように苗などを植え付ける場合や種を点蒔きするときは、その周りだけ草を刈るようにします。他の所はなるべく草を残しておくことが非常に大切。これは周りの草ぐさがないと、せっかく出てきた芽を虫や小動物に食べられてしまうからです。草ぐさは芽を隠す意味もあるし、虫などもそちらを食べてくれます。食べる草ぐさがないから仕方なく、作物に手を出すのではないでしょうか。
と、わかっていてもそこは月イチ農民の痛いところ。「このまま草を生やしっぱなしにしておいたら、来月はとんでもないことになっているだろうな」とか「もっと草を刈っておかないと来月までには草に負けてしまうかもしれないな」なんて智恵が働き、ついつい草を刈ってしまうことに。とりあえず今月は気温も高くなく、草もほとんど生えていないのでジャガイモの植え付けは普通に終了しましたが、来月にはどうなっているか判りません。このスリルがまた、たまらないのでありますが。(また、お百姓さんに叱られます)
種はまだあります。心配の種。ジャガイモは地中にできます。当たり前です。これが心配。私の畑はお判りのように、とんでもない笹畑(?)でした。川口さんのおっしゃるように草を刈っていますので、地中に根を残しています。セイタカアワダチソウの根も健在です。これらの根っこがびっしりの中、はたしてイモはできるのだろうか、という心配です。あのカタイ笹の茎・根を想像してみて下さい。ジャガイモの実のなる力の方が強いのかどうか。このあたりは全く判りません。これも一からの勉強であり、こういう心配をしてる自分もすこしかわいい。
いよいよ来月は本格的に種まきシーズンが到来します。まだ蒔く種は特定していませんが、候補はいろいろとあります。川口さんのお話を参考に、また自分で調べて種を購入しようと思います。さてさて、いったいどうなるのやら。
春。身も心もやわらぎ、喜び、楽しみ多い季節となります。始まりの季節を感じます。
自然農体験記3月 終わり
■■自然農体験記4月
4月12日。一ヶ月ぶりの田畑のとの対面。この「わくわく」は何物にも代え難い。周りに自分一人しかいないとき(重要)など、「おおーっ、やられたなあ」と「うひゃひゃ、こりゃすごい」なんてごちてます。結構コワイ人?
さて、今月からは季節も本格的な春のめぐりとなりますので、土曜日は畑、川口さんのお話のある集合日の日曜日はたんぼ、というふうに仕事を分担させてゆこうと計画しました。というわけで、まずは畑。案の定、草は生えていません。ラッキー。
先月、植えたジャガイモはまだほんの少し本葉が出てきた程度。植えた時にその場所に目印として、棒っきれを立てておきましたので、そのおかげで判るといった様子です。この棒っきれはとてもありがたい。私のような素人は、出てきた芽が狙いとしている作物のものなのか判らない。私たちの畑は草花も咲き誇っていますから、ますます判らない。そこで棒っきれが「これがジャガイモだよ」と教えてくれるわけであります。えらいぞ。ありがたい、ありがたい。これは去年の苦い経験から学んだことなんです。去年があって、今年の私がいる。これからもうまくつないでゆきたいです。
作物の種は東京で用意してきました。チンゲン菜・蔓なしインゲン・春ニンジン・春ダイコン・トウモロコシ・カボチャです。これはとりあえずといった感じでありまして、また来月種はもっといろいろなものを用意する予定です。種の蒔き方は先月、教わりました。決めなければならないのは、蒔く場所です。この作物は乾いたところを好むのか、そうでないのか。これは連作障害が出やすいのか、そうではないのか。この2点に注意します。
その結果、
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ジ ャ ガ イ モ
チ ン ゲ ン 菜
---------------------------------
蔓 な し イ ン ゲ ン(種は殺菌消毒されたピンク色)
ニ ン ジ ン
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ダ イ コ ン
広い畝は何も蒔いていない
-------//---------------//------- ので略。
長 ネ ギ
となりました。「おや、たったこれだけ? トウモロコシはどこ?」というご質問が出るかもしれません。これは山の性質にあります。つまり「朝晩は冷え込む」ということです。日中は暖かくとも朝晩はやっぱりかなり冷えます。今月蒔かなかった種は、地温が低いと発芽しないため、蒔かなかったというわけです。川口さんによりますと、「この季節にここでは、苗は霜が降りなくなったら、種は霜が降りなくなる少し前に蒔くとよい」とのことです。
今月蒔かないと次は来月になってしまいますので、難しいところなのですが、来月ならば確実だろうと判断しました。一応、カボチャはダイコンの隣、トウモロコシは長ネギの横にしようと考えています。種はすべて点蒔き。すじ蒔きだと間引く必要性が強まると考えたゆえです。月に一度では間引きも適時にできないとの考えがあります。もちろん点蒔きでも、間引きは必要ですが、このあたりは勉強が必要です。あとは自然にお任せ。
翌日13日。たんぼでの作業。4月は何をするのかといいますと、お米の種蒔き。苗代作りというわけです。「苗代、どこにつくるの? だってたんぼには麦があるんじゃないの」。そうなんです。麦があるんです。実はこれには頭を痛めました。「仕方がない。畑の方に苗代を作って……、いや同じたんぼでのめぐりだ。やはりその場でいのちはめぐらせないとな。どないしよ」とたんぼを眺めていると、隙間が。そうです、私は小麦ともち裸麦の2種類をたんぼに直播きしたのですが、そのとき直播きとはいえ、2種類がごっちゃにならぬよう明確に区分けして蒔いたのでした。そのため小麦と裸麦の間がうまく空いていたのです。なんたる偶然。今年はたんぼも私に味方し……、いや油断はなりません。
場所は決まり。次は何を蒔くかです。お米はお米ですが、なんの種類を蒔くかということです。この赤目自然農塾では川口さんがご自分のたんぼで取られましたものや購入して下さったもの、赤米(ウルチとモチ)・黒米(モチ)・香り米(モチ)の古代米、その他陸稲(ウルチとモチ)や水稲(ウルチとモチ)を計10種類以上用意して下さっています。(野菜の種は各自持参) 初めての方や昨年自家採取できなかった方、昨年とは違ったお米を作りたい方は自由にもらうことができます。
今年は4種類作ることにしました。赤米・黒米・香り米・山光(水稲のウルチ)です。この4種類を選んだ理由、なんとなく判りますよね。やっぱりお店ではなかなか買えない古代米を作りたいじゃないですか。ミーハーな私。赤米は昨年自分でとったものがありましたのでいただかず、黒・香り・山光をもらいました。ではどのくらいもらったらいいのでしょう。説明では「1反=300坪=1000平方メートル当たり、川口さんのたんぼでは4合、赤目では7合」ということでした。赤目は気温が低いため、多めに蒔く必要があるということらしいです。地力の弱いところ、寒いところ、早稲は種籾を多めに用意した方がいいということです。
川口さんの実習が始まりました。苗代作り、これは結局種蒔きですので、野菜の時と同じです。つまり敷いておいた草をどけ、土の表面を削り、種を蒔き、土を種が見えなくなるまでかぶせ、鍬で少し押さえて草を敷いておく。鳥などにやられないように、大きめの木の棒2〜3本を乱雑におく。モグラ対策に苗代を溝で囲む。こうすればモグラは入ってこないから。ここでお米は50〜60日間育て、田植えとなります。
と簡単に書きましたが、実は苗はお米づくりの成功を大きく左右するものです。注意すべき点はいくつかあり、種蒔きの時、種が重なり合わぬよう注意することが大切です。ですから種蒔き後、種が重なっていないか、均一に蒔いてあるかをチェックして、ひとつひとつ指でお米の位置を変えてゆきます。次にかぶせてゆく土ですが、これも野菜の時と同様に表面ではなく、下の土を使います。夏草の種のない土ということです。さらに鳥にやられぬように草をきちんと乱雑に敷き詰め、木の棒も大きいもの、中くらいのもの、さまざまにおいておいた方が良いかもしれません。ただし、きちんと日光が種にとどくように。とにかく、苗に関しては細心の注意をはらわねばなりません。
苗代の大きさは0.6m×1mくらいです。川口さんは1.4m×18mで苗代を作っているそうです。ずいぶん変則的なと思われるかもしれませんが、つまりは手を伸ばして両側から作業できるように1.4mとしてあるのだと思います。
今年は時間をたっぷりとかけ丁寧に苗代を作りました。こうすれば安心して東京に帰れます。来月からは非常に忙しくなります。私が忙しくなるということは、季節がめぐって自然の表情が豊かになるということであります。豊かさのなかに忙殺されぬよう余裕をもって取り組んでいこうと思います。月イチ農民はこのあたりが非常に難しいところなのですが……
4月の風に背を押され、次にくるのは風薫る5月
自然農体験記4月 終わり
■■自然農体験記5月
5月10日。朝夕の冷え込みもそうきつくはありません。新緑とでもいうのでしょうか、やっと春の色が息づています。昆虫の数も桁違いに増えて、さっそく私も活動開始。
畑に足を運ぶと、あらまあ、草が生えていること。うれしい(微笑)。と、足下のところにジャガイモの葉が大きく成長しているっ。大体高さ20Bくらいでしょうか。これは3月に植えたところですね。4月に植えたものも少し地面から顔を出しています。暖かくなってきたので、成長の速度が速まったのでしょう。でも、良く見ると本葉が少し虫に食われています。原因はジャガイモの周りに草が生えていないせい。笹のマルチがよほど効いているのか、私の草刈りが丁寧だったのか、判別できませんが、全体的に作物の種を蒔いたところはあまり草が生えていません。
ジャガイモはよし。ぱっ、と目を移すとチンゲン菜もありますあります。先月種を蒔いたものですね。まだ小さいなあ。目印の棒っきれがないと間違えてしまいそうです。うう、これも虫にやられている。やはり周りに草がないせいだな。チンゲン菜は点蒔きしたのですが、この時点で本葉一本に間引きました。立派に育ってくれるのか心配です。手元に種を残しておきましたので、同じ畝に蒔きました。こうすれば作物が2ヶ月にわたって収穫できると思いますし、どちらかがなにかの原因でやられてしまっても保険が効くと考えています。
チンゲン菜の隣畝、インゲン。おっと、これも芽が出てますね。小さいけど、立派だ。虫にもやられてない。でも、同時に蒔いたのに随分とばらつきがある。まだ本葉が出ていないものもちらほらとある。とりあえず様子を見ましょ。というか、見るしかない。インゲンは予定では4、5、6、7月の4回種蒔きをする予定でいましたので、2回目の種蒔き。草をどかして、穴を穿ち、根っこがあったら鎌でザクザクやって、そこに種を2粒落とし土をかぶせ、草を敷く、終わり。4回蒔くのも、こうすれば長い間収穫できると思うからです。もちろんこの方法はすべての作物に通用するわけではないでしょう。
インゲンの隣はスイカの種を蒔きます。スイカ、いいですよね、わくわくしますよね。自分の畑で取れたら、みなさんどうします? 私も想像ばかりが膨らんでしまって。もう、種蒔いた時点で、「スイカどうやって東京まで持って帰ろうかな」なんて考えている。いや、お恥ずかしい。スイカも5、6月の2回蒔きます。とりあえず畝の半分を今月使いました。スイカやカボチャなどは大体1E間隔をあけて種を4つくらい蒔きます。本葉が出てきたら間引いて一本残すわけです。
隣はニンジン。やや? ニンジンは芽が出てない。一つも出てない。目印の棒の周りにはただの草だけ。ここだけの話、「まあニンジンは失敗してもいいかな」という悪魔の気持ちがありますゆえ、放っておいて余っていたニンジンの種蒔き。ニンジンは来月も蒔くつもり。蒔き時というのはもちろんあるのですが、私は良く判りませんし、山ですから気温・地温は平地と異なりますので、ますます怪しい。だから種があるだけ蒔き続ける作戦です。蒔き時は川口さんのおっしゃるのを参考にしています。
--------------------
隣の畝にいきまして、ダイコン。これは葉が出てます
ジャガイモ ねえ。あの独特な葉が。まだ実に小さいけれど。今月も
チンゲン菜 種蒔き。ダイコンの種蒔きは今月で終了。あとは収穫を
-------------------- 待つのみ。なのですが、この収穫というやつが実にやっか
つるなしインゲン い。種は月に一度でも蒔くことができますが、収穫は作
スイカ 物の成長も一律ではありませんし、一つ一つの作物に適
ニンジン 当な収穫時期がありますので、月に一度では「あと3日
-------------------- くらいでちょうどいいのに」とか、「熟しすぎたな」とい
ダイコン うことが予想されます。これは収穫の時また書いてみた
カボチャ いと思います。
----/----------/---- 隣はカボチャの種を蒔きます。スイカと同様、間隔をあ
トウモロコシ*長ネギ けての点蒔き。カボチャは簡単というもっぱらの噂。
カボチャ好きの私にとって、いくら取れても構いません
ので楽しみです。
大きな隣畝は大豆を予定しております。大豆の種蒔きは来月ですが、迷った末、ざっと草刈り。なぜ、迷ったのか。来月6月は実に、実に忙しい。簡単に書いても野菜の種蒔き、麦の収穫、草刈り、田植え、水管理の共同作業、といったところ。本来ならば、草は刈らずに生き物の場所を残しておきたいのですが、来月のことを考えると少しでも草刈りは楽にしておきたいという「智恵」が働いてしまって……。畑ではそういう判断を下しましたが、これを書いているいまは少し後悔しています。草を刈られて生き場所を失った生き物は作物に寄ってくるのは当然です。作物にも良くないし生き物にも良くない。智恵はなくても困る、あっても過ぎる。難しいものです。
その隣畝は長ネギが植えてあります。花? でしょうか、ネギの青いところの(あたりまえか)先端に丸いものがついています。細いけれど、ネギは順調のようです。この隣にトウモロコシです。これもスイカと同様、わくわくしますね。トウモロコシの粒は肥料で大きくなると聞いています。いったいどうなりましょうか。株間約40cmで点蒔きです。湿りの多いところに蒔きました。
これから本格的に暑くなり梅雨を経て作物もぐ〜んと成長します。月に一度の面倒で果たして野菜は取れるのでありましょうか。これで成功したら、こんな楽なものはないのですけれど。
5月11日。たんぼを見る。おっとぉ〜、麦の穂が出てるじゃないか。うれしいぞ(笑み)。2種類とも穂が出てる。まったく麦ってやつは結局種を蒔いただけで、あとは何もしていないのに、かってに実ってくれた。いいのかな、本当にいいのかな、こんなに簡単で。心配は鳥や猪くらいかな。まだまだ油断はなりませんね。
と、その穂の下に苗代が。さっそく、敷き草をどかす。う〜ん、これはお米か。また昨年同様、米の苗がよくわからない。判るのははっきりとわかるのですが、怪しいのは草に見えてくる。はっきりと判るのは、2〜3Bくらいで葉がつんつんしているもの。針のようです。すぅー、と立っているのがそうなんです。根本ですぐに葉が出ているものは違いますね。でもはっきりしないのも多い。もう少し時が経てば判るのにな。ここが月イチ農の痛いところ。先月の敷き草が厚かったせいもあり、あまり苗が成長していないのです。陽が届かないためですね。でも敷き草を少なくすると、鳥にやられる可能性も出てきますし、微妙な所です。
今月の作業は苗代に生えた草を抜くこと。先月注意してもやはり草は生えてくるものです。草を抜いてお米だけの苗代にします。でも、判別がつかない。結局、川口さんに見てもらうことに。川口さんは赤目の山全体を見回って下さるので、その時に聞いてみました。すると、よくできてるとのこと。思わず顔面の筋肉がたゆむ。敷き草が厚かったところは、今月に薄くすれば大丈夫とも。やった! やった! 私が草を抜いていると手伝って下さいまして、「これも違うよ、これも」とどんどん作業を進めて行かれます。どこで見分けているのか尋ねると、「葉の形やな」。いわれてみれば確かに違う。でも、正直私にはぱっと見ただけでは判りませんでした。
すると、川口さん、「これモグラやな」。ドキッ。どうりで苗代がボコボコしてると思ったら! どうして? 先月モグラが入ってこないように溝を切っておいたのに。まさか最初から苗代の中にモグラがいて、溝を切ったせいで外に出られなくなったとか。そんな笑い話、まさか。でも苗代がモグラでメチャクチャになっているのは事実。とりあえず穴をつぶす。川口さんは大丈夫といっていたが。土の中に穴が空いているということは、苗の根がそこに達すると栄養分を吸い取れないということになる。不安がヒタヒタと近づいてくる。どよ〜んとした気分になる。でもやるだけはやった。結果は来月。こりゃまいったな、うん。
自然農体験記5月 終わり
■■自然農体験記6月
6月7日。晴れてる、晴れてる。今日は暑いぞ。体力を奪われないように帽子と長袖を。これは必需品。さっそく畑を見に行く。「ジャガイモは? おっバッチリだ。花が咲いてるぞ。チンゲン菜は? お店で売ってるのと同じ形だ! すごいよ。インゲンは? おおっこれも花が咲いてるぞ。いい感じ。次はスイカ。ありゃ? ないぞ。確かここはスイカだよな。となりのニンジンはまずまず。あれ? スイカは。まだ芽が出てないのかな。ダイコンはバッチリやね。少し間引きしなきゃ。となりはカボチャ。あれれ? ない。ん、あっひとつだけ芽が出てる。でもおかしいな」。少し離れて、トウモロコシ。「一本もない」
結論。どうやら猪に入られたらしい。聞いてみると私たちの棚全体がやられているという。年々、被害は増大しているみたい。ちょっと、がっくりしましたが、きちんと作物はできていたので、猪の被害もあまり気になりませんでした。でも来月来たらジャガイモやチンゲン菜がやられている可能性は高いのですが。現在、赤目では猪対策に頭を痛めているところです。
----------------- さて、野菜の種蒔きです。やるべきことはやらなければな
大豆 らない。まず、前から予定していた大豆から。大豆は種をど
ジャガイモ うやって手に入れたらよいのか判りませんので、自然食品店
チンゲン菜 にて昨年収穫された国産無農薬の大豆を手に入れることにし
----------------- ました。芽は出てくれると思うのですが。昔は大豆なんて畑
つるなしインゲン に蒔くほどのものではなく、畦で十分だったそうですが、私
スイカ は大豆をたくさんとって味噌を造るという魂胆がありますゆ
ニンジン え、広い畝をとっておきました。川口さんによりますと種蒔
---------------- きの間隔は株間が40〜50センチ、幅は1メートルとのこと。
ダイコン もっと密集できるかと考えていた私は拍子抜け。「これじゃ
カボチャ あまり収量期待できないな。もう一カ所、種を蒔こう」と考
キュウリ えた私はジャガイモの隣にも蒔くことに。
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そして、チンゲン菜やつるなしインゲン、ニンジン、ダイ
大豆 コンは種がまだ余っていましたので、インゲン以外はすじ蒔
きで、インゲンは点蒔きに。スイカとカボチャは悔しいので
----------------- もう一度蒔き直し。今度はやられませんように。キュウリの
トウモロコシ・長ネギ 種も買っていたので、連作障害を少し頭に入れながらカボ
チャの隣へ。あとひとつ畝が残っているのですが、これは来
月に小豆の種を蒔こうとの魂胆でいます。
それにしましても、我が畑は草ぼうぼう。判っていましたが、種を蒔くために草を刈らなければなりません。草刈りの途中、あまりのすごさに何度ぼーぜんと立ち尽くしたことか。しかしやらなきゃ終わらないとの当たり前の結論にいたり、またせっせと草刈りでした。川口さんは「草を敵とせず」とおっしゃいます。これは草々と作物を共生させるということですが、受け取り方は各人それぞれでして、きちんと丁寧にこまめに草を刈っている人もあれば、私のように月に一度だけ草を刈りに来る人もあり、決まった形があるわけではありません。私もなるべく草は残しておきたいので (草があれば土の湿りを保つことになりますし、昆虫も集まり土も豊かになる)、草を刈るのは種を蒔くとき、蒔くところだけです。成長しているジャガイモとチンゲン菜のある畝はうまい具合に草が茂っていまして、何も手をつけません。作物が草に負けなくなったら放ったらかしです。
種蒔きは午前中いっぱいかかって終え、午後からはたんぼであります。軽く食事してからいよいよ麦の刈り入れです。私はお米を昨年の11月に刈り、それと同時に小麦ともち裸麦を蒔きました。そのあと何も手を付けていないのですが、トラブルもなく立派な麦秋と相成りました。
麦の刈り方は穂刈りです。穂を指の間に挟み込み、しごくようにして茎から穂をはずします。裸麦はプチプチと茎から簡単にはずれますが、小麦は固くしっかりとしているので、私はハサミや鎌で穂首刈りしました。このように穂だけ刈るのは、川口さんに理由を聞いていないので良く判らないのですが、やってみると疲労困憊。どうしてって、麦の高さが均一ではないので穂をとるのに、立ったりかがんだり。終いにはぐったり。茎の根本を刈るのであれば高さは気にせず、それも一気に十本以上まとめて刈れるのですが。どうして穂刈りか。私なりの考えは、刈り入れ後もう一度穂をはずす手間がなくなるからではないかと思っています。でも来年は考え直さないと。
休み休みやってやっと刈り入れが終わると、麦を干さなければなりません。麦はござにでも広げて晴れの日に2日くらい干せばよく、あとは玄麦にして保存すればよいとのこと。ただ麦は刈ったらすぐに干さないと発酵を始めてしまいダメになってしまうそうです。梅雨の時期、田植えの時期と重なるので合間をみての作業になると川口さんはおっしゃっていました。
さて、麦の収穫が終わればいよいよお米です。苗の状態は先月モグラにやられていたようで心配していたのですが、水稲のウルチがうまく成長していない位であとは平気。ただし、苗は平均して10センチくらいで田植えするにはまだ早い。最低でも15から20センチは欲しいところ。結局、今回の田植えはあきらめました。今月もう一度この赤目の山に田植えをしに行かなければなりません。まあ、ある程度は予想していたことです。昨年も6月は2度赤目を訪れましたので。
6月8日。田植えできないとなったら、次回来たときにすぐに田植えにとりかかれるための準備を始めねばなりません。この「赤目自然農塾」では、たんぼに水を入れるのは田植え後の6月中旬。そして9月末まで水を張ります。ですから田植えは水のない状態で植えます。これはまた田植えの時に書くことになるでしょう。水を入れる準備として欠かせないのが、畦塗りです。赤目は自然のままですので、とにかくたんぼから水が抜けます。棚田の下の方は絶対に水がたまりません。水が抜けるのは主にモグラの穴からです。このモグラの穴の発見を容易にするためもあり畦塗りは大事な作業となります。
<畦塗り> 川口さんに教えていただいたものです。
1 畦の幅は50センチ以上とる。これくらいあればよほど自然環境でない限り畦が崩れることはないそうです。
2 溝の草を刈り、溝を深くするためにスコップで両側を切る。
3 切った溝を鍬で掘り返す。
4 水を入れて、掘り返した土を練り上げる。練り上げるというのは鍬を溝の中にビチャビチャと振るうことです。(うまく描写できません。申し訳ありません)これを3回くらい繰り返し、土をトロトロの状態にします。この作業は水を田に入れ溝に水がたまったら、水を止め作業すると楽だということです。
5 畦側に練った土を寄せあげる。この寄せあげた状態で、一日おき水分をある程度とばします。
6 少し締まった土を鍬の背を使って整えます。
<図示>
******* --------------
-\-\-\-\-\-\-\-| *練った土 | あぜ道
たんぼ |---------------- |
自然に沿った農をやるのは簡単だと思います。でも手間がかかります。丁寧にやればやるだけの結果がありますし、やらなければそれだけの結果に終わります。自然は実に正直です。畦塗りができていないとお米の成長に欠かせない水が不足します。お米はお米だけで成長するわけではない。その周りのものの大切さ、重要さ。勉強になります。
自然農体験記6月 終わり
■■自然農体験記(田植え編)
今日は6/30。田植えをするにはちと遅い気もしますが、川口さんによれば、「6月
中に終わらせればよい」ということですので、都合のついたこの日に田植えというわ
けであります。田植えの時期としては「梅雨の間がよい」とのことです。最近はゴー
ルデンウィークにするのが当たり前になってきたようですが、それは人間の都合にあ
わせているからであって、日の光を稲に十分に取り込むにはやはり6月に田植えの方
が良いようです。
前回6/8に来たときには苗の成長がイマイチで、田植えを見送りました。で、今回
はといいますと、これはどうしたことかあまり前回から成長していない。原因はモグ
ラのようです。「今年こそは」と意気込んでいたのにショックの色は隠せない私。去
年はお米の苗と普通の草の区別がつかず、田植え後の草刈りで稲を刈ってしまったな
んてこともありましたが、今年はそれ以前の問題。苗は20センチくらいに成長したも
のもありますが、10センチくらいのものも。しかし、くやんでも仕方なく、時間は刻
一刻と過ぎてゆきますので、田植え決行。
今回の予定は午前中たんぼの草刈り。午後は田植え。さあ、午前8時からスタートで
す。たんぼは前回穂首刈りした麦わらが青々とした夏草に完全に埋もれています。
まずは草々を一掃しなければことは始まりません。長袖のシャツに着替え、タオルを
頭にかけ首筋を強い日差しから守り、つばのついた帽子をかぶります。台風一過で
あったこの日。太陽は容赦なくカンカンと照りつけます。そんな中、ただ黙々と草刈
り、草刈り。あんまりの日差しに、体力があっという間に奪われていきます。しゃが
み込んで草を刈っているので腰が痛い。何度も途中立ち上がって腰を反らす。時間が
過ぎると共に、気温は急上昇。気力は急下降。でも、草刈りを終えないと田植えがで
きない。何度も何度もたんぼを見回し、あとどれくらい残っているのかを確認する。
「あそこまでやったら休憩しよう」と目標をたて黙々と進む。ぼうっとする頭。我は
無くなり夢の中。結局、12時までかかってやっと草刈りが終了。その間休憩したのは
一回。すこし水を飲んだだけでした。
昼食タイム。田植えに来ていた他の皆さんがぞろぞろと小屋に集まって、どうやら
皆で食事のようです。私もお弁当を持参して来ました。しかし、私にはそんな悠長な
ことをしているヒマはない。午後7時ごろまではたんぼで作業するつもりでしたが、草
刈りの状況を考えてみますと、あと7時間あっても田植えが終わるかどうか判らない。
草刈りを終えると、休む間もなくさっそく田植え開始。
まず、たんぼにひもを張ります。一直線に植えるためです。昔ながらの田植え風景
といったところでしょうか。もちろん一本一本手植えです。間隔は40センチ×25セン
チで一本植えです。40センチというのは条間です。人が通れる幅。これくらいあれば
草を刈る際、楽にできるからです。25センチは株間。一本植えというのはその名の通
り。普通は苗を2、3束にして植えると思うのですが、川口さんは「一本で十分です」
とおっしゃいます。これは私が思うに、束ねて互いに譲り合いさせるより一本にのび
のびと育って欲しい、ということではないでしょうか。
次に苗床から土ごと苗を取ってきます。たんぼに水をひいていますので(私は田植
えが遅かったので、すでに田に水が引いてあった)、土ごと手で取るのもわけありま
せん。余談になりますが、私たち赤目自然農塾のたんぼは水を引いても、たんぼの表
面に水が浸ることはまずありません。モグラの穴やなんやかやで水がどこからか抜け
てしまうのです。よって、水当番(モグラの穴発見が主な仕事)は非常に重要な役職
で、参加者全員持ち回りで水の管理をします。6月後半から9月の終わりまでの大切
な仕事です。
閑話休題。苗床から土のついた苗をもってきましたら、それを土の付いたまま一本
に分けます。ここの描写想像していただけるでしょうか。苗床で苗は密集しています
ので、それを分けるのです。苗は先ほどの間隔で植えていきます。土の表面に被さっ
ている草々を寄せて置いて土を穿ち、苗を土の付いたまま植えます。あまりに密集し
ている苗は無理に引き離そうとはせず、そのまま2本、3本で植えます。苗を分ける
ときに当然根っこをちぎってしまうわけですが、少しくらいならそうした方が苗が元
気に育つそうです。少し試練を与えるということでしょうか?
しゃがみ込んで一本一本植えて行きます。これはパッパッパとできるものではない
ことがお判り戴けると思います。3本も植えるとちょっと一呼吸。また3本植えて深
呼吸。炎天下では踏ん張りがききません。とにかく焦らずにやるしかないのです。で
も、タイムリミットがありますのでだらだらとはできない。田植えは苦しい! つら
い! これ正直な気持ちです。
最初に植えていた赤米の苗は案外逞しく育っていたので、作業中も収穫を頭に描き
ながらで苦しい中にもウキウキしたものがありましたが、次に植えた黒米の苗は、途
中で折れているわ、葉はちぎれているわで肉体的にきつい上に精神的に落ち込んでし
まいました。ちなみに黒米の苗はところどころ黒くなっていて(カッコイイ!)まさ
に黒米と一目で判る代物なのです。赤米は赤く、なってはおらず普通の緑色です。黒
米の苗は田植えに耐えうるものが少なく10株程度で終了し、3種類目の香り米へ。
が、これも成長かんばしくない。ガックリ。ある程度成長したもの5、6株植えまし
た。最後のウルチ米、山光。「あいや、全滅じゃん」。田植えできるのは2株程度。
田植えできる面積はまだだいぶ残っています。仕方なく苗の余っている方にいろいろ
な種類の苗を融通していただきました。なんだかんだで17時をまわると陽も山に隠
れ、熱射から逃れることができ作業もはかどります。
結局、40センチ間隔で6列植え、余った所に少し植えました。株数は数えていませ
んが、百は越えたくらいだと思います。少ないでしょうか? 笑い声が聞こえてきそ
うです。しかし時間や手間暇のことを考えるとこのくらいが精一杯です。田植えが終
了したのは18時半。食事もとらず朝8時からたんぼに入って、何度か水を飲んだだ
け。これ以上広いと一日では終わりません。東京から通いで月に一度たんぼに来てい
る私としてはこれで満足です。うまく実ればいうことなし! なのですが。
田植えは私が一日で終わらそうとするから「生みの苦しみ」になるのであって、早
朝の涼しいときや日が落ちてから作業すれば、それほどの苦行にはならないのではな
いでしょうか。素人の甘い考えといわれればその通りかも知れません。その人その人
の農があり、それぞれを大切にしてゆきたいと思っています。
これからは草々との闘いが始まります。闘いといったらおかしいかな。うまく自然
にとけ込んでお米の成長を妨げないように草々と戯れたいです。(これも変なたとえ
だ) 半年のお米のいのち。秋のみのりまで一体何が待ち受けているのでしょうか。
蛇足を少し。「あ〜、お腹減った」と田植え終了後、お弁当のふたを開け間を空け
ず、ご飯をパクつく。「ん、何かおかしいな。いやまさか、梅干し2つもいれてきた
んだよ」。またご飯を口に入れる。「やっぱり、ダメだぁ(泣)」。そう、見事にご
飯は傷んでいました。ご飯、糸引いてましたよ。(笑、泣)
自然農体験記(田植え編)終わり
■■自然農体験記7月
梅雨の季節の7月12日。やっぱり雨。でも炎天下よりはましかなと自分を納得させまして。今日の私の作業はついにやってきた水当番。水当番とはなんぞや。田植えを終えたあとの水の管理のことです。水の管理とは? たんぼに水がきちんと張っているか、いなければそれなりの処置を。水は張りっぱなしでも良くない。たんぼに水を入れすぎてあふれそうになってはいないか。さまざまな確認とその処置が必要なのです。
赤目自然農塾での水当番は皆の持ち回りで行っております。ただし昨年私は東京から三重県と奈良県の県境まで来ているということで水当番は免除していただきました。私はただ単に自分のたんぼのお米だけを相手にしていたのです。これでは自分のたんぼとはいえ、なんだか都会から田植えや草刈りの手伝いに来ているような錯覚に陥ります。「たんぼ全体のことを知らなきゃダメだ」。昨年稲刈りが終わった時点での反省点の一つでありました。お米をつくるために必要なこと全てをいきなり学ぼうとしても、それは背伸びのしすぎ。で、今年は水の管理を勉強することにしました。今年だけという意味ではなく、今年から勉強ということですよ。
まず、山を流れる小川に設置してある水取り入れ口を見ます。ここに落ち葉などがたまっていますと水が入ってきません。これは一大事。きちんと確認しまして水の出口から水がとうとうと流れているのに安心します。チェックしますと水は入ってきている。では水がたんぼの隅々まで行き渡っているかを確認します。これが赤目自然農塾の場合隅々まで行き渡っていることはまずありません。自然そのままの棚田ですので、モグラの穴は数知れず、石垣からも水が漏れます。また雨が強く降りますと下手をすれば畦・石垣が決壊するなんてことも起こります。事実過去何度も決壊しているそうです。
が、隅々まで行き渡っているはずのないこのたんぼに例外の時があります。それが今日。梅雨の真っ最中でここ2、3日雨が降り続いていたため川の水と雨水でたんぼに水が満ちていたのでした。それはそれでいいのですが、モグラの穴は潰しておかなければ、雨がないときに困ります。モグラの穴の発見方法は溝を流れる水をよく見つめます。すると水がまっすぐに流れず渦を巻くようなところがあるのです。穴に水が逃げているのです。そこを足でしっかりと踏みつぶします。結局私は2つ穴をつぶしました。水が満ちているせいか水の必要性に対する危機感が感じられずチェックが甘くなってしまったのは反省点です。また来月の当番で勉強です。
結局見回っただけに終わったような水当番を終え、時間が少し余っていましたので、畑を見にゆきました。ふふふ、今月は初めてまともな収穫の月なのです。3月4月に植えたジャガイモ、チンゲン菜、つるなしインゲンがいい感じなハズ。しとしとと降る雨の中、心はうきうきとして畑に向かいました。
「うわっちゃ、かなりすごい草だな」。畑にゆくまでの道に先月からは想像できないほど草々が自己主張しています。にもかかわらず、うきうき心の私はモーゼよろしく草の海を分け行きました。しかし、いつまでたっても畑が見つかりません。「あれ? まったくバカだな、心ここにあらずで道を間違えたよ」。引き返す私。「ん、この道でいいんだ。どうしてだ?」。また進む。見つからない、畑が判らない。「おかしいなあ? ここのはずなんだよな。棚を一段間違えたのかな。あっれ〜? ふぅ〜」
どうして自分の畑が見つからないのか。まず、どの畑もケタ違いの草の量ですべて同じに見えること。そして判別の基準となる植えた作物が見あたらないことでした。私は道のすぐ横の畝にジャガイモを植えていました。「ここが私の畑に違いない」と思い畝のジャガイモを探しましたが見あたりません。おかしい。絶対におかしい。私の畑はここに違いないのです。次の畝にはインゲンがあるはず。探す。ない。おかしい。
と、その隣の畝に目をやると。「!」「あぁダイコンだあ。やっぱりここが僕の畑だったんだ」。安堵、そして口には言い表せない感情が身を包みます。作物がイノシシに食べられてしまったという気持ち(土を掘り返した跡がありました)、そして何よりも草によってあまりに違ってしまった畑の姿。私は今年の春、「たくさんの笹を敷いて置いたおかげで草が生えてこなくてラッキー」なんて喜んでいて、「こりゃ楽ちん、楽ちん」とのたまっていました。そんな私の無知の鼻がへし折られました。
何度も何度も畑を廻りました。ただただフラフラと歩いていました。自然の凄さに圧倒されました。都会人のひ弱さでしょうか。私は笑われるでしょうか。一ヶ月前、畑だったところが、いま草の海になっています。作物が収穫できないことよりもこの偉大なる変化に戸惑い、ショックでありました。何をどこから手を付けていいのか判らず、ただ呆然と立ち尽くし雨に打たれていました。
一句、
雨空に とけ込みし吾 一人在り
時間は過ぎてゆきます。いつまでも詩人ぶっている私ではありません。周りに誰もいないことを確認してから「よっしゃあ」と気合いを入れ直し、道の草刈りから始めました。まず、畑までの道が判りませんと話になりませんし、また危険です。とりあえず、道を確保した時点で土曜日の作業は終了となりました。
7月13日。朝、目を覚ます。雨音が聞こえます。俗に言う、ざあざあ降り。困惑の気が私の頭を醒まします。雷鳴とどろく中、眠気など感じている間はありません。「うわ〜、今日の作業はどないしよ」。やる気が萎えてゆきます。昨日の畑の状態もあり、なにをどう手を付けていけばよいのか、やる気を向ける方向性が見つけられずにいました。しかし、今月の作業はまだありました。先月収穫しました麦です。収穫してから乾かしておいた麦を昨日水当番をしている間に脱穀しておいてもらったのです。
もち裸麦は玄麦のまま。小麦は製粉機で粉にしてから、ふるいにかけ小麦粉とふすま(胚芽など茶色の部分)に分けます。この時驚いたのですが、ふすまのなんと多いこと。粉と半々くらいです。ふすまの部分ももったいないので、何か料理に使おうと思い持って帰りました。このままたんぼに返しても、もちろんいいと思います。この麦が私の本格的な初めての収穫となりました。野菜収穫ゼロや雷雨のことなど、どこ吹く風。もう、うれしいったらありゃしない。正直、これだけでもう満足で東京に帰ってもいい気分になりました。
でも、たんぼでの川口さんの講習があります。雨があまりにもひどいので山にある小屋のなかでの講習となりました。今月の作業は田植え後の草刈りです。まだ小さいお米の苗が草に負けぬようにするためです。私は6月末に田植えをしましたので、まだ2週間しか経っておらず、たんぼに草はほとんどありませんでした。これ幸いと、たんぼでの作業は無視し、草刈り鎌を手にジャングルと化した畑へと向かいました。
畑は降り続ける雨のため、まるでたんぼのように水が溜まっています。どしゃ降りの中、1メートルを越す高さのセイタカアワダチ草とヨモギを抜きます。計50本以上はあったと思います。これらは生命力が強くすぐに復活してしまうため刈らずに抜きます。これで随分畑がさっぱりしました。さっぱりしたところで、イノシシの被害にあったところに戴いたさつまいもの苗を植えました。ジャガイモの畝、チンゲン菜の畝に10本ほど植えました。さつまいもはある程度乾いたところを好むそうですが、この雨。私は田植えのように、泥の中にさつまいもの苗を植えていました。大丈夫かな?
と、ここまでやったところでストップ。あんまりの雨なので、そうそうに退散することにしました。まだ種蒔きや草刈りもありましたが、つらい思い無理矢理な気持ちで作物に接しても不健康だと思いました。せめて草刈りを完璧に終わらせたかったけれど、始めますといつ終わるか判りません。また一ヶ月後、ここに来たときには猛々しい草に相対することになるのでしょう。それも仕方ありません。
一ヶ月前と一変してしまう自然の姿。動物の生きる姿。この2つ、当たり前のことですが、アスファルトの海に住む私にとっては衝撃をもたらしました。難しい話をしようとは思いませんが、山は動物の地で平地は人間の地なのかとも、ふと思ったりもしたり・・・。来月はたんぼ・畑ともに草との闘いになるでしょう。闘いといったらおかしいけれど、心してゆきたい思います。
自然農体験記7月 終わり
■■自然農体験記8月
わしも東京で考えた。「今月の作業は草刈りに始まり、草刈りに終わるな」。
この決意を胸に田畑のある赤目の地へ。
8月9日。赤目到着。今月もまずは水のチェックから。私がこちらへ来る数日前に大雨が降ったこともあり、水はたんぼに行き渡っている。エルニーニョによる冷夏予想も見事はずれ、暑い日差しに十分な水。今年は豊作かな。なんてことを考えながらたんぼ全体を見歩く。やっぱり自分のたんぼが一番気になるもので、ついつい足が向かってしまう。してからに、「うわっ、なんだこの穴」。な、なんと私と隣の人のたんぼの境のところの畦が完全に崩壊して、「ぼこっ」と穴が空いているではないか。穴というか畦が崩れているのです。シャレにならない。
そう、ここは一ヶ月前、確かモグラの穴がありました。溝を流れる水の流れがおかしくて、見てみると穴があり、軽く長靴のかかとで踏みつぶしておいたのでした。それが、まさか、ねえ。周りの方に聞いてみると次のようになるらしいです。モグラの穴に水が流れ込んで徐々に穴を広げていった。そこにこのあいだの大雨の時の水が大量に襲いかかり「ドサッ」と崩れてしまった、と。こうなっては私の手に負えません。隣の方と相談し、大きな石を落として周りを小さな石で固め、その上に粘土を乗せて畦を作ろうとなりました。結局この作業は明日へ持ち越しです。
モグラの作った穴をいくつか潰した後、自分の作業に。草だらけであろう畑を見にゆくと覚悟を決めていてもなお予想を上回る草、草、草。もう私の植えたいろいろな作物はどこか消えてしまったようです。実際は消えるなんて事はないのでしょうが、本当に見あたらない。先月戴いて何本かさしておいたサツマイモの蔓がかろうじて残っている程度。でも、これも草の中に埋もれてしまいそうなので周りの草を簡単に刈ります。簡単にというよりも適当にといった方が的を得ているかも知れません。やる気失せてます。
畑はもうどうすることも出来ない状態。同じ棚の人でもきちんと草刈りをしている方はそれなりに作物も出来ていてうらやましい限り。月に一度だけ畑にきて野菜をいっぱい取るぞぉ、なんて私があまちゃんだったのでしょうね。と、悟るやら悲しいやら、悔しいやら。仕方なく畑を去ろうと思ったのですが、やらねばならない仕事があります。あぜ草刈りです。畦が草に埋もれてしまうと道が判らず足を踏み外してしまうなんてことになりかねません。畦は私だけが通る道ではないのできちんと作業しなければならないのです。その結果、畦はきれいで畑が草ぼうぼうという風景ができあがりました。
それにしても暑いんです。とびっきりの暑さ。畑作業を終え小屋に入り団扇をあおぎながら、今後の作戦を練ります。畑はもう成すすべがありませんので、明日やろうとしていたたんぼの草刈りをこれからやることに決定し、また日の下へ。カンカンと照りつける太陽の下で草を刈るのは私は1時間が限度。1時間草を刈っては30分小屋で団扇をあおぐ。作業は進みませんが、倒れては元も子もありません。それに急がば回れ、ともいいますのでゆっくりと休息をとりながらの作業となりました。
たんぼで滝のような汗をかきながら草刈りをし、考えたことがいくつかあります。「いや〜、これだけ汗かいたら痩せちゃうな。」などとアホなことを考えもし、田植えの反省もしました。私は田植えの時、ひもを張って田植えしたにもかかわらず、クネクネと曲がって植えているのです。あのときも暑いわ、疲れるわでボロボロでしたから、仕方がないといえば仕方がないなあと自己弁護。でもこのクネクネだと草刈りが大変。想像していただきたいのですが、私はたんぼに月に一度しか触れることができませんので、田植えのときに草をすべて刈りはらってから苗を植えました。そしていま、たんぼを見ると稲と草々が同じ背丈で覇を争っているのです。草のほうが勢いが強いためか苗に成長が追いついてしまっているのです。
こうした中、草を刈ってゆくのですが、昨年私はこの時点で一つ失敗しました。そう、まったくの素人ゆえ草と苗の区別がつかなかったのです。(お恥ずかしい)今年はその愚を犯さぬよう注意していました。苗がまっすぐにピッと並んでおれば草も刈りやすいのですが、「ここまでが草で、ここに稲がある」という私の予想を裏切るように私自身が曲がって植えているため、勢い余って稲まで刈ってしまいそうになるのです。草と苗を間違えないように根本に注意を注ぎ少しずつ前進してゆきます。途中で団扇のお世話になりながら。
また草を刈りながら痛感したのは、いかに最初の段階の苗が重要かということです。田植えの時に少々弱々しい苗も私は最終的には大きくなるだろうと踏んで植えたのですが、その考えは甘く、分けつもほとんどしておらず成長が止まってしまっていたようでした。苗の時点で大きく立派だったものは草々に囲まれながらも頭一つぬきんでています。苗代での苗の管理の重要性を改めて思い知りました。来年への決意を新たにしながら、日が落ちるまで草刈りを続け一列を終えた時点で終了しました。
8月10日。猛暑、猛暑、猛暑。しかしやらなければならない。たんぼに着いてすぐ、昨日の残りの作業を開始。たんぼの草刈り。まだ9時台ですが、すでに暑すぎる状態。午前10時過ぎ、川口さんの講習が始まりました。今月は「草刈りです」ということ。川口さんは片膝をついた状態でスッスッと草刈りをし、前進してゆきます。まったく無駄がない(ように見える)。川口さんには悪い例えですが、ミズスマシが水面をゆくようにスイスイと草を刈っていきます。これが本業のお百姓さんの業(わざ)だと見とれてしまいました。手前から確実に刈ってゆく。そして前進。また手前から、前進。この繰り返しです。「息が切れるようではだめですよ。無理のないペースでやって下さい。これなら疲れないからずっと続けることが出来るんです」。確かに川口さんは呼吸一つ乱さずにスイスイと草を刈っている。今月の講習はこれだけで私も早速実戦開始。
「手前から確実に、手前から確実に。あせらずゆっくり」とぶつぶついいながら草を刈る私。でも、でも、これが出来ないのです。いや、本当なんです。どういうことかといいますと(自分でも原因が判っている)、最初は手前を刈っていても、いつのまにか手の届く範囲ぎりぎりのところを刈っていて徐々に手前に戻ってくるという動きをしてしまうのです。このやり方では手がいったり来たりを繰り返し、刈り残しが出る可能性が高くなります。どうやら原因は私のはやる心にありそうです。どうしても早く草刈りを終えたいがために、先に先に目が行き手が前に出てしまうのです。
深呼吸。私は気持ちを落ちつけて、「草刈りにも練習が必要だ。手前から手前から。ゆっくり確実に」と意識して草刈りを続けました。コツがつかめてきたようです。やっと2年目にして草の刈り方が判りました。まだ無意識に手前から確実に草を刈っていくことはできませんが、やり方は判りました。たかが草刈りなんて思っていた自分が心のどこかに巣くっていたのでしょう。せっせと草刈りしながらも無理をしないようにたっぷり休息をとって、たんぼの草刈りを終えました。これが午後2時。2時半からは私の田の畦に空いた大穴を埋める作業が待っているのです。
隣の田の方と相談の結果、山を流れる小川にある幅1メートルくらいの石をはめ込み、それをまた小川で拾ってきた小石で補強し上に土をかぶせるということになりました。まず、穴を石をはめ込むために少し拡張し、下を小石で補強します(20分経過)。そして石を小川からたんぼの穴までもってくるのですが、この石が重い重い。大人4人でどうにかこうにか穴までもって来ることに成功(ここまで50分経過)。石にひもを巻き付け(これだけで10分経過)、穴に落とします。とにかく石が重いためうまくコントロールできず、思うように落ちてくれません。周りのたんぼの皆さんに手伝っていただいて石をある程度はめ込むことができたのは、午後4時過ぎ。皆さん安堵とともに疲労困憊。作業はここまでとなり小石や土の補修は後回しとなりま
した。
すべて人の手でやることの大変さ。ちょっとした畦の崩れを直すのも最後まで作業していたら一日がかりになっていたと思います。いかに昔の人が偉かったか、また作業機械を作った人がすごかったか身にしみて思い知らされました。こんな経験東京で普通にバイトしていたら味わえません。だからなんだということではないのですが、貴重な経験でした。
とりあえず予定していたたんぼでの作業は終了。団扇をあおぎながら考えます。「まだ時間はあるんだよな。畑どうしようかな」。実はお昼休憩の時に大ソバの種をもらっています。せっかく借りた畑。このままではもったいない。私は片手にソバの実、片手に草刈り鎌を持ち、さっそうと畑へ向かいました。いや、実はちょっとまだ迷っていましたが
以前、大豆を蒔いた畑の1/3を占める場所へソバを蒔くことに決定。まずやらねばならないことは草刈りです。「野菜作り=草刈り」だとつくづく思います。草がたくさん生えるということは、それだけ土が豊かであるということの証左ですからそれはそれでうれしいのですけど。さあ、畑の角にしゃがみ込み草刈り開始です。手前からザッザッと刈っていきます。鎌の先を少し土の中に入れ、草々の茎を残さないように刈っていきます。根は土中に残したまま。30分ほど経過したとき、日が山の端に隠れました。これでだいぶ違います。一気になんともすごしやすい空気となり、作業能率もUP。草刈りをすべて終え、ソバまきです。
「困ったな、ソバってどうやってまけばいいんだろ」。「ま、いいや適当にばらまこう」。暑さと疲れで思考停止状態の私は瞬時に答えを出し、行動に移っていました。ソバを適当に蒔き、そこを足で踏んでいきます。実が土にしっかりと落ちつくようにです。全部蒔いた後、刈った草や以前から敷き詰めておいた草々を被せてオシマイ。ばらまいたからには、この場所にはもう草刈りなどのために入ることはできなくなりました。ソバは2ヶ月半くらいで出来るそうなので、その間見守るしかありません。うまく出来たらソバぐらい打ってみるか! (いや、無理だな)
こうしてなんとか一番忙しかった夏の時期を終え、季節は秋へ。今月でお米の主な作業は終了なんです。水の管理は必要ですが、草刈りなどはしません。この時期まで来るとお米が草に負ける事はなくなりますし、そろそろお米の花が咲くようになりますので。ということで、来月は畑中心の作業になると思います。まだまだ暑さは残っているでしょうが少しは楽になるといいなあ、と願う残暑にやられてる私。
自然農体験記8月 終わり
■■自然農体験記9月
電話が鳴った。まさにこれから赤目のたんぼへ向かうときだった。
「赤目自然農塾の者ですが、梶谷さんのたんぼは下の田の7番ですよね」
「はい」
「今日たんぼ全体を見て廻ったんですが、下の田はイノシシに入られていて、梶谷さんのとこもやられてるみたいですよ」
「うわー」(絶句涙)
なんてことだ。赤目自然農塾は山の中の棚田であるからいろいろな動物が現れる。イノシシ・ウサギ・シカ・猿など。なかでも暴れん坊はイノシシで被害は甚大だ。ここ赤目では一昨年辺りから被害が大きくなり始め今年は特にひどい。
実は私、昨年もたんぼをイノシシにやられてるんです。昨年は11月。なんとか稲刈りにこぎ着けたと思ったらイノシシに田を荒らされていたというなんとも悲しいお話。今年はすでに畑をイノシシに荒らされています。なんとかしなければ。こう誓いながら私は赤目へ向かう。
9月13日。あいにくの雨模様。だが、そんなことよりも何よりもたんぼが気になる。「あ〜、やられてる」。しばしボー然とたんぼを見つめる。イノシシに荒らされているのはたんぼの4分の1程度。イノシシが走り回ったのか土はボコボコになり、稲は掘り返され倒されている。これはもう仕方がない。これ以上被害を大きくしないためにはどうすればよいのか。でも、どういう目的でイノシシが私のたんぼに入ったのかが判らない。隣の一方の人は被害にあっていない。しかし、もう一方の人は私以上、見るも無惨に田全体を蹂躙されている。両隣と私、3人ともイノシシ対策は何も講じていない。なのにこの差はどうして?
結論。イノシシは何も考えていない。このように私は勝手に決めました。たんぼ一枚一枚には借りている人の個性が出ていますが、このような違いを見分けてたんぼを荒らしているとしたらイノシシは「山の神」てなことになりかねません。日頃の行いの悪いヤツの田はこらしめちゃうぞ、なんて。それはいいとして、イノシシは偶然私のたんぼに入った。こう結論づけたわけです。
偶然入ったなら今後二度と入らない事も考えられるのですが、その逆、今後ずっと入り続けられることも考えられます。なんとか手を打たなければといろいろな人に聞いて歩くと、「におい」系が効果あり、との情報を得る事に成功。具体的には「しょうのう」「人間の髪の毛」などが良いということです。さらに空き缶をぶら下げ音が出るようにするのも効果的なようです。
善は急げ。といきたいのですが、今月も水の管理をしなければなりません。赤目地方は9月ほとんど雨がなかったということで川の水量がありません。そのためたんぼにも水があまり入っていない。ほんとは深刻なことなのかもしれないのですが、稲はもうすでに穂を垂らしていますし水はそんなに必要ではないのかな、との考えがもたげ水取り口や穴を簡単にチェックするのみにとどまりました。(雨が降っていたのも影響したのかもしれません)
水当番を終え、さっそく仲間数人と「イノシシ対策」の買い出しへ。近所のホームセンターをうろつき、ひもと防虫剤(タンス用)を購入。帰り道ごみ箱の中から空き缶を十数個取得。さて、私は何がしたいのか? もったいぶる必要もないほどに明白でありまして、田畑をひもで囲い四隅に防虫剤を、ひもには缶をぶら下げようというわけです。
雨降る中では作業意欲も鈍りがちですが、また今夜にでもイノシシに入られると思うとやらないわけにはいきません。が、甘すぎる私はとりあえずひもを周囲に張っただけで撤退。実りの季節、近代農法以前のお百姓さんは家族総出で動物の被害に遭わないように田畑を寝ずの当番したといいます。その姿勢に比べたら私は本当に田畑に遊びに来ているようなものでしょう。確かにそう言われたらその通りで、イノシシに入られたと聞かされたときも、悔しさとともに「仕方ないな」という気持ちも充満していました。あきらめ? 開き直り? よく判らないのですが、「しょせん自然相手だ。しゃーない」と思う自分がいます。このへんのところが収穫を左右するポイントなのかもしれません。でも、私は私だからなあ。という進歩のないヤツ。
一夜明け、14日。昨日から雨は続く。今日はイノシシ対策を終え、野菜の種蒔きをする予定。川口さんの講習が始まるまで改めて田畑を見る。稲はとても豊作とは言いがたい。赤目の中でも平均より少し下でしょうか。原因はやはり最初の苗の状態が悪かったことだと思っているのですが、さていかに。さらに田植えが6月末と少し遅かったのも影響していると思います。田植えが遅れると分けつ期間(約1カ月)が短くなるといいますから。
畑の方は先月蒔いたソバの白い花が咲き乱れ状態。まず「きれいだ」。次に「うれしい」。これでうまく収穫までこぎつけば「ハッピー。」となるのですけど。イノシシに荒らされた跡にヤケになって植えたサツマイモの苗は見あたりません。月に一回来るだけでは野菜の収穫は無理ですね。本当に(少々気落ち気味)。
川口さんの講習は野菜の種蒔きでした。ダイコン・ホウレンソウ・ニンジンの種蒔きを実習して下さいました。(実はもう一種類あったのですが、忘れてしまいました) 特筆すべきはダイコンの種蒔き。川口さんは3センチおきに一粒ずつ種をおろしてゆきます。間引き菜を楽しむためだそうです。このようにするのは基本的にダイコンだけとのこと。
ホウレンソウ・ニンジンの種はバラ蒔きでした。まず、おおざっぱに草刈りをして、そこに種をおろします。ついできめ細かく草刈り。そして土を被せ、保水のために刈った草で覆い終了。被せる土は表面の土ではなく、少し中の土を使うとのことでした。表面の土では草々の種が落ちているからだそうです。また、なぜ草刈りを2度行うのかといいますと、草を刈って普通に種をバラ蒔いた場合、種が土に触れない可能性があるからということなのです。ざっと草を刈り種を蒔く。そして再度深く草刈りをする過程で草の上に乗っていた種は下に落ち、土の上を歩くことによって種はしっかりと土に根付くというわけです。こうしたささいな配慮、智恵を私も身につけてゆきたいと真に願っています。
この種蒔きの講習の場で各野菜の種の取り方について質問がありました。自家採取です。いつどのような状態になったら種を取ればよいのか。どのようにすれば良いのか。キュウリは黄色くなったら水のなかで洗って種を採取するそうです。トマトも熟しきったら同様にします。私、まったく知りませんでした。これは要勉強です。質問に答える形で自家採取のお話が終わってしまい、ちと残念。自家採取の仕方はこれからの重要な課題としたいと思っています。
種蒔きの講習が終わり、さっそく自分の畑へ。私が用意したのは、ダイコン・サントウ菜・タマネギ。もちろん近所のスーパーで購入したもの。確認はしていませんがF1でしょう。まあ、それも仕方ないと思っていたのですが、幸運にも自家採取の種を分けて下さる方がいてダイコンとニンジンの種を戴きました。ダイコンの種はヒョウタンの小さなもの(2センチくらい)みたいな中に4、5粒入っているんです。ニンジンはものすごく細かい種。まるで虫のよう(笑)。それがフワフワした綿のようなものに包まれています
ダイコンもニンジンもスーパーで買う種とはまったく違う! ・・・なんだか考えてしまいます。本当に私は野菜を作っているのだろうかと。自然の種の姿を知らず、花が咲きその後の種の取り方も知らない。ふう、虚しい。これではいけない。種子メーカーのお世話にはならないように努力していこう。
----------- さて畑にはこのように種を蒔きました。春に区切った畝は結局無
視です。これからは平畝でいこうと考えています。なるべく作業を
ソバ 簡単にしたいから、という思いからなのですが、色々と試してみる
のもいいことだと自分を納得させています。
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ダイコン 「あれっ、タマネギはどうした?」。はい、実はタマネギは苗を
----------- 移植したほうが簡単だと知り種蒔きをやめたんです。しょせん、こ
サントウ菜 んな人間なのだなあ〜
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ニンジン
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種蒔きを終え、たんぼへ場所を移す。本日最後のお仕事、イノシシ対策がまっています。少し張り切りモードで、用意したコンビニの袋にボールペンでプスプスと穴を開け、そこに買ってきた防虫剤を5つ6つ入れます。雨に濡れないようにとの配慮からです。それにしても匂いは強烈。うまく効いてくれるといいけれど。これを四隅にぶら下げました。あとは缶をつけようと思ったのですが、どうしてもたんぼの情景が壊れる感じがしていけない。とりあえず、匂いだけにする。これでイノシシに入られるようなら、缶や髪の毛も考えてみようと思う。
全作業を終え思うのは、月に一回だけ通いで田畑と接するのは限界ということです。一年目は土いじりだけで満足していましたが、少々欲が出てきたのか学ばなければならないことが多すぎるっ。米作り・野菜作りといえば種を蒔いて草を刈って収穫、というイメージでありましたが、実際は畦は崩れる動物は現れる水は足りない。まったくプランターじゃないんだから、これくらいのことは当たり前なのだろうけれど。将来専業でやるわけではないからといって逃げるのはたやすい。ここまで足をつっこんだんだから、もっと勉強したいな、という向上心溢れる9月の私。
来月はまた野菜の種蒔き。稲刈りは11月になります。さてさて何が待ち受けているのやら。
自然農体験記9月 終わり
■■自然農体験記10月
世間はみのりの秋(とき)を迎えています。でも、私が田植えをしたのは6月末。「今月はまだ稲刈りできないだろうな。いったい向こうで何すっか」と思いながら、東京を発ち三重県は赤目に着く。
10月11日。来たら来たでやることはあるもので、さっそくみんなの共同作業でイノシシ対策。ここ赤目の地で自然農塾が始まってから7年経ちますが、イノシシは3年目の冬あたりから徐々に出没し始めました。そして昨年、今年と被害が大きくなり始め、もう放ってはおけないとなりました。
赤目での対策はこうです。
1、たんぼ全体をトタンで囲う
2、罠を仕掛ける
3、夜間の見回り
他にも個々人で木の格子を作ったりと工夫しているようです。本日の共同作業はたんぼをトタンで囲う作業でした。私の行った作業はトタンをとりつけるための木杭に防腐剤を塗る作業。なんだかラクチンで申し訳なかったです。皆さんの協力でトタンは張られていきました。たんぼがトタンで覆われていくのは、なかなか天晴れな景観です。
と、ここで問題が発生しました。それは「もともと赤目の山にいたイノシシの生活の場に人間が入っていってるのに、そのイノシシを悪者扱いするのはどうか」というものでした。具体的には、「トタンで囲うのはどうなのだろう?」との話になりました。話はがぜん盛り上がります。「トタンでなくて土に帰るものならばよいのか」「赤目の自然な風景が好きなのにトタンで台無し」「イノシシは悪くない。悪いのは人間。だからトタンは無くすべき」「イノシシに作物をやられた身にしたら、イノシシは銃で撃ちたいくらいだ」「イノシシ用の畑を作ればいい」などなどなど。
大別すれば「イノシシは悪くない。イノシシがかわいそう」という人と「イノシシにやられた私たちの気持ちはどうなるのか」という人がいる状況でありました。これは簡単に結論が出るようなものではありません。人の考え方は皆異なりますし、イノシシの被害にあった人とあわない人では、また違ってきます。
イノシシに入られた私個人の意見としては「やられたのは仕方がない。でも、トタンが張られるのはうれしい」というものです。ずるい考えでしょうか。イノシシ側のことも判ります。確かに人間が彼らの生活圏を犯しているかもしれない。でもやっぱりトタンでイノシシが入れないようになるのは安心できる。これが本心です。安易な感情論でなく、実際に土にまみれる者としての率直な感想です。
皆で話し合った結果、結論は持ち越されました。ひとつ具体的な案としては、トタンで囲うところと囲わないところを用意するという案も出されました。でもまだしっくりいきません。さまざまな思いが交錯しますので、これからも興味深い意見が出ることと思います。
11日は結局、イノシシ避けの共同作業で終わりました。翌12日。ゆっくりと自分の田畑を見にゆきます。たんぼは草に覆われ、その中に稲が穂を垂れているという状況です。みのりの程度は普通の人に言わせれば「たったそれだけ!」というくらいです。概して自然の流れに沿った農では収量を期待することは出来ません。稲に近づいてよ〜く見て分けつ数を数えてみても、平均して7、8くらいでしょうか。これははっきり言ってものすごく少ないと思います。でも私たちの場合、苗の一本植えです。つまりたった一粒のお米がこんなに大きくなっているということ。それを考えると自然の凄さにただただ平伏するのみです。
畑は思わずニンマリのでき具合。先月蒔いたダイコン・サントウ菜・ニンジンいずれもいい感じに芽が出ています。サントウ菜は間引く必要がありそうです。肝心のソバはあの小さな白い花は枯れ、そこに黒いソバの実が付き始めています。まだ二分といったところ。これでは収穫できないし、また来月収穫となるともうすでに実は全部落ちてしまっているでしょう。ここは難しいところです。
10時半になりました。川口さんの講習が始まります。本日は稲刈りの仕方と稲木の立て方、麦の種蒔きの仕方です。私は「稲刈りにはまだ早いだろうな」と思っていたのですが、次に来るのは来月です。お米は熟すと眠りにつくそうですから、来月収穫でも悪くはないと思うのです。でもでも、はやる気持ちは抑えられない。それにうかうかしてまたイノシシに入られたらたまったもんじゃありません。今月はもう草を刈ることもなく時間はたっぷりあります。で、稲刈り決定。
川口さんの講習はまず、キュウリの種の取り方から始まりました。これはこれから自家採取を目指す私にとっては必見の内容。「種ってこうやって取るのか」と非常に興味深かったです。
<種の取り方>
1 一株に1、2本残す。まっ黄になるまで放っておく。(トウガラシ・ピーマンは真っ赤になり、葉がしおれてくるまで。ナスは冬まで。カボチャ・スイカは食べ頃)
2 実を水に浸ける。そして水の中で実をほぐしていく。浮いてきた種は捨てる。
3 沈んだ種を陰干し。(穀類は直射日光に当てます)
種の取り方が終わり、次は冬野菜の種蒔きです。この時期は葉物が中心となります。種蒔きの時期をずらせば長期にわたって収穫できるとのことです。この時期から11月半ばまでがホウレンソウ。11月いっぱいはソラマメ・エンドウマメ。タマネギ・イチゴは苗で11月です。イチゴなんて自分で作ったらさぞかしおいしいでしょうね。この時期に種を蒔くものは冬になるまでに大きくならないとそれ以降成長しないので適期にきちんと蒔く必要がありそうです。
さて、いよいよ稲刈りです。稲の刈り時は穂全体に勢いがなくなってきたら、穂首の三分の二が枯れたら、そのときだと川口さんはおっしゃいます。私たちのような月一回の稲との出会いでは判らないのですが、毎日見ているともうそろそろだということが判るそうです。
稲を刈るのは朝露が乾いてから、大体午前10時くらいでしょうか。その頃、地面から3センチくらいのところを刈ってゆきます。刈った稲は直径10センチくらいにまとめ束ねます。直径10センチというのは脱穀のとき両の手で持つのにちょうどいい大きさです。ですから個人差があろうかと思います。
束ねたらそれを掛ける稲木を立てます。間伐材を使います。稲木の立て方はそれぞれの地方や人のいろいろなやり方があろうかと思いますが、私たちが教わったのは一本の木の端をそれぞれ三本の木で支える方法です。(説明しにくいな) この稲木の立て方はその向き(南北にする)、木の組み方、ひもでの縛り方などに細かいお百姓さんの知恵が生かされていて、それが理にかなっていてまったく感嘆感嘆。
こうして組んだ稲木に束ねた稲を掛けていきます。掛けていくときにも稲が濡れないように工夫して掛けていきます。工夫というのは稲を扇のように左右に2つに開いて掛けていくときに左右の大きさを変え、それを交互に掛けていくのです。つまり最初に掛けた稲の左が多かったら、次の稲は右側を多くします。こうしてぎゅっとつめて稲を掛けていくと、雨が降っても平気ということです。稲を掛けたら終わりではありません。掛けてある稲を鳥が食べに来ます。それを防ぐために細いひもをちょうど穂の高さのところに張ります。これですべて完了です。
さっそく私も知り合いの方に手伝っていただきトンタントンタンと半時間ほどで終了。では稲刈りです。心の準備が出来ていなかったためか感動もあまりなく、ただ淡々と稲を刈っていきました。まだ少し早いかな、というものは来月刈ることにして成長の早い赤米を中心にざくざくと刈っていきます。分けつも余りしていなくて、なんだか頼りなくて、でもでもいとおしい。一粒も無駄にはしたくない。この思いはものすごく強いものです
8割方稲を刈って残りの成長が遅いものは来月刈ります。教わったとおりに稲を木に掛けていきます。狭いたんぼですから、あっという間の出来事です。収量は期待していませんので、なんとか稲刈りにまでこぎつけたことで満足満足。来月は脱穀・精米と麦の種蒔き。いつのまにか季節が巡ってしまいました。都会でビルに囲まれているとなかなか気づくことのできない季節の流れ。お米を作っていると季節の移り変わりをそのまま感じることになります。
畦が決壊したり、またまたイノシシに荒らされたりと今年も色々ありました。この赤目自然農塾で学ぶようになって2年。長いようでお米作りをしたのは、まだ2回だけ。勉強しなければならないことはまだまだ山ほどあります。毎回毎回反省があり、次の課題が生まれます。納得のいくまで学ぶしかないな、これは。
自然農体験記10月 終わり
■■自然農体験記11月
10月某日。私の脳裏に怪しいひらめきが。「稲刈りはほぼ終わった。来月の作業は稲の脱穀や麦蒔きだ。そんなに大変な作業じゃないぞ。何か面白いことがしたいな。そうだ、福岡正信さんのいう粘土団子を蒔いてみよう」(粘土団子とは野菜・果樹等の種をとにかくたくさん混ぜそれを粘土でコーティングしたものです。こうすることによって鳥や動物たちから種を護ることになり、また種子をたくさん混ぜているため何が生えてくるかはその土まかせになります)
東京で粘土と野菜の種を購入。どうして粘土を購入したのか。恥ずかしい話、私には粘土というものがどういったものなのか見当がつかないのです。図画工作の時間に遊んだ思い出があるくらい。赤目の山で粘土を見つける自信がなかったのです。ああ本当にお恥ずかしい。ともかく福岡さんの著書にある粘土団子の作り方を頭に入れ三重県の赤目自然農塾へ。
11月9日。東京に比べて山ははるかに冷えます。当たり前のことだけど、これが自然なのかと肌身に感じながらたんぼへ。先月刈りました稲は天日に干してあります。改めて眺めて本当に本当に少ない稲に恥ずかしさあり、それでも自分の稲にうれしくなったり。今日はこれを脱穀、籾すりします。まだ刈り残した稲がありましたので、まずそちらを刈ります。こちらは来年の種籾用とします。
刈り残した稲を刈り、そのままたんぼの草刈りも。明日、小麦を蒔くからです。本当は種を蒔いてから草を刈ったほうがいいらしいのですが、時間的制約のため順を逆にしました。先に草を刈ってしまい、そのあと種を蒔くと草の上に種が乗ってしまい発芽しないのです。このことが判っていれば順はどちらでもいいのではないかと判断しました。結局午前一杯は草刈りで終わりました。
午後は稲の脱穀と唐箕かけ、籾すりです。稲刈りを終えたたんぼに脱穀の道具と唐箕を運び込みます。脱穀する道具はなんていう名前なのでしょうか。はっきりしないのですが、足踏みで針金のついた木を回しそこに稲束を押しつけ脱穀してゆくのです。そして唐箕。これは日本史の教科書でみたアレ。「江戸時代の農機具」って教わったけれど。それがいま目の前にあって少し感動。
さあ干しておいた稲を持ってきて脱穀だい、と思ったまではよかったのですが、いかんせん稲の量が少ない。「これだけを脱穀機にかけても仕方ないよな」 いま考えると別に仕方ないことなんてまったくないのですが、この時はなぜかそう考えてしまって、結局指で一本一本しごくはめに。天気良くお天道さまの下、たんぼにすわり込みのんびりと指で籾をはずしていきました。周りからみたらとってもばからしい光景だったかもしれません。でもなんだか幸せだったなあ、私は。
すべての籾をはずし終え、唐箕にかけます。これは籾を上から落とし、そこに風を送りゴミをとばすものです。実の入った籾は手前に落ち、小さいお米の籾は少し遠くへ、空の籾やゴミはとばされるわけです。私はやっている最中、うまくできた道具だなあ、とただひたすら感心していました。唐箕をかけ終わりついにお米となる籾が手元に。はやく籾をはずしてお米の顔を見たいと心ははやるはやる。
籾すりは機械です。私が今年作ったお米の種類は古代米である黒米・赤米・香り米、それにウルチの山光でした。まずは赤米から。あっという間に終わり。「ああっ」 お米が赤い。赤というよりは朱でしょうか。新鮮な感動。赤米だと判って籾すりしていながら、なお驚いてしまう。笑っちゃいますね。次は黒米。「おおっ」こりゃ凄いよ。ホントに凄い。「真っ黒だよ。真っ黒」 黒米の籾殻をはずしたのですから、黒い米が出てくることは判っているのですが、実際目の当たりにすると予想以上。インディカ米のような縦長の真っ黒いお米です。赤米は普通私たちが食べているのと同じ形をしていますが、黒米は違います。驚きましたね。
お次は香り米。出てきたのはクリーム色をしたお米。香り米というくらいだから、いったいどんな香りがするのかと思い、鼻を近づけますが良く判りませんでした。炊いたら判るのかもしれません。量が少ないせいもあるのかもしれないです。最後に山光。これは街で見かける普通の玄米が出てきました。全部で4種類の籾すりが終了しました。
4種類すべてでも2キロないくらいの量です。どれだけ少ないかお判り戴けるでしょうか。けれど、幸せなんです。「幸せ」なんて普段なら恥ずかしくて口に出来ないような言葉も笑顔と共に出てきます。うれしくてうれしくて。ニヤついちゃって。みんなに見てもらいたくて。調子に乗りすぎでしょうか。「たったこれだけ?」なんていわれるのは判っていても、家族のみんなに一番に見てもらいたいなあ。
11月10日。昨日のうちにお米は籾すりまですませました。今日は東京でずっと用意していた粘土団子を蒔く日です。予定としてはこうです。稲刈りを終えたたんぼには麦とクローバーを粘土に混ぜて団子にして蒔く。畑には野菜の種をとにかくたくさん粘土に混ぜばら蒔く。自分の田畑の広さを計算し、大体の粘土の量、種の量を計算していました。
用意は万全。でも実際蒔く段になって考えてしまいました。団子を蒔いてから草を刈ったほうがいいのですが、そうすると蒔いた団子を踏んでしまいはしないかと思ったのです。種を動物や自然環境から護るために粘土でコーティングしているというのに、踏んで団子を壊してしまってはなににもならないのではないか。う〜ん、とやっていても誰も答えを教えてくれるわけではないので、実行あるのみ。まず草を刈りその草をどかしておいて団子を蒔き、その上に草を被せることに決定。
午前中は草刈りに終わり、午後から団子作りです。私は今月粘土団子を蒔くつもりでいることを自然農塾の仲間達に吹聴していました。そのため団子作りには6〜7人の人が参加してくれました。みんなで輪になっておしゃべりしながら団子を手で丸めます。ソラマメやカボチャの種がつまった5センチはあろうかという団子を作る人。小さな1センチくらいのかわいい団子をせっせと作っている人。それぞれの個性が現れます。
種は春野菜・秋野菜など、またF1・薬づけも関係なくたくさん集めることに主眼を置きました。お多福そらまめ2種・タマネギ2種・キュウリ・ブロッコリー・ニンジン・ホウレンソウ2種・エンドウ2種・キャベツ・ダイコン2種・長ネギ・ゴボウ・コカブ2種・サントウ白菜・春菊・白菜・パセリ・カボチャ以上23種類です。おっとクローバーを忘れてはいけません。「目には目を、草には草を」ということで草押さえのためにクローバーを混ぜます。緑肥の意もあります。
これらの種をバケツに入れ混ぜ合わせ、その7倍の粘土粉をバケツに入れる。はずなのですが、私が東京で用意した粘土は粉末状のものではなく、そのままの粘土だったので仕方なく適当な大きさに粘土を取り、それに種をいれて丸めるという作業になりました。餃子を作る作業を思い起こされたら判りやすいと思います。注意した点は粘土が乾燥したときにひび割れしないようによく粘土を練ることと種が団子の表面に出ないようにすることでした。
粘土団子を蒔く。まったくどうなるのか見当もつきません。福岡正信さんの著書を読むと緑の楽園が数年で完成するそうです。私は理屈ではなく、「やってみよう!」という初期衝動のみです。小さな小さな粘土で作った団子の中に種が10も20も入っています。これでは出た芽が密集してしまうのではないか。間引きはしなくてもよいのか。草は刈らなくて良いのか。どんな作物が出来るか判らないのでは。結局みな徒長してしまって花が咲くにいたらないのではないか。いろいろと疑問は湧いてくるところだと思います。私も判りません。興味津々です。とにかく手を出さずに自然に土に任せゆくのみです。
これは注意しておきたいのですが、福岡正信さんのいう粘土団子の作り方や蒔き方、またその思想などと私たちのとったやり方は異なると思います。福岡さんの著書を参考にしましたが、こちらの都合でやりやすいようにアレンジしてしまったところもあります。私たちが何の収穫も手に出来なかったとしても、それは粘土団子が非難さるるべきではなく、私たちのやり方がおかしかったということでしょう。粘土団子を蒔いた畑はできるだけ長い期間放っておこうと考えています。すぐに結果はでないかもしれませんので。
粘土団子を蒔き終わり余った団子は各自記念(?)として持ち帰り、私はたんぼへ。小麦の種蒔きのためです。小麦もクローバーと混ぜて粘土団子にしようと考えていたのですが、日が落ちてしまい辺りが暗くなってきて時間切れ。急いで刈った草を横にどけ、田の表面に小麦とクローバーをばら蒔き。そして草を被せます。これで小麦の作業は終了。あとは来年の6月の収穫を待つだけです。麦踏みもしません。余計なことをすると余計な手間が増えると川口さんはおっしゃっています。
慌ただしかった11月の作業もなんとか終了。稲刈りや団子作りの合間に畑のソバを収穫しました。実は落ちてしまったものもあり収量はこれまた少なかったのですが、ぜいたくはいえません。それにしましてもソバは簡単に出来ました。これで栄養価もよいのですから、スバラシイ! と一人感動の涙にくれています。
今月は実りの季節を実感しました。なんでもないことなのですが、自然は良くできてるな、とほとほと感心しています。お米・ソバを収穫できて、粘土団子も蒔けた。たわいのないことですが、都会に生まれ育った私にとっては新鮮で驚きでうれしいことです。ただ失敗したこともありました。それは今年の春に収穫したもち裸麦を種用にとっておいたにもかかわらず、おもいっきり忘れてきてしまったり、そのため小麦だけを蒔いたのですが、焦っていたため来年のお米の苗床を確保せずにたんぼ一面に種を蒔いてしまったりと。きちんと先を考えて自然の流れに逆らわずに落ちついて作業できるように心掛けていきたいと自戒している私でした。
自然農体験記11月 終わり
■■自然農体験記12月
11月某日。ついに自分で収穫したお米を食べるときがやってきた。心の中で密かにファンファーレが鳴り響く。食べるのは黒米(モチ米)。セレモニーは始まった。
母にたんぼで収穫してきた米をみんなで食べてみようよ、と提案。炊飯器に白米2合と半分、そこに黒米を足してちょうど3合になるように入れます。水をいれ、お米をとぐとアラララ、黒(紫っぽい)色の水が出てくるじゃありませんか。白米から出た白濁した水と黒米から出た色のついた水が混ざりあい凄い光景。このままといでたら黒米が白くなったりして、と頭の悪さをちらつかせながら、お米をとぎ終えスイッチポン。
で、炊きあがり。炊飯器の蓋を開けると、これが見事な紫色をしたご飯。香りも普通のご飯とは随分違う。香りを表現するなんて私にはできませんが、白米だけの甘いような香りではなく、もっと野生味の強い香りが。で、炊き立てをさっそくあ・じ・み。これまた驚きの味。白米の六分の一の量を入れただけなのにここまで違うか、と満面の笑みをたたえ黒米の肩を叩きたくなるほど。これまた味の説明が出来ないのですが、やはり強い風味というでもいえばよいのでしょうか。黒米だけでご飯を炊いたら香り・味ともに強すぎて食べられないかもしれません。少なくとも私にはこう感じられました。
黒米初体験の家族の反応。まず、ご飯の色を見て腰を抜かす。味をみて判らなくなる。「これはいったいなんだ?」 なんとも形容しがたい味におののく。母はお弁当に入れていき職場のみんなにみせると意気込み、私も他の人にも味見してもらおうとおにぎりを握りました。「香ばしい」なんて意見もありましたが、やはり食べてみないと判らない味です。あまり濃いおかずとこのご飯は合わないように思いました。黒米ご飯に味噌汁と漬け物くらいだとバッチリだと思います。
12月の田畑の作業。11月に稲刈りし干してある来年用の種籾を取りに行くのがメインとなります。メインというかこれくらいしかすることはありません。12月7日、夏のあの萌えんばかりの山と違ってすっかり落ちついている印象の山をみると自然の不思議さを感じます。たんぼには先月蒔いた小麦がいい具合に芽を出しています。たんぼの表面がイノシシに荒らされたまま小麦を蒔いたのでデコボコしているのが気になりますが、これは麦刈りを終え、田植えをする前に直すことにしましょう。
稲木にかけてある稲束をとるには麦のあるたんぼに入らなければなりません。麦踏みをするつもりはないのですが、まあ仕方ないな、といった感じでずんずんたんぼに入っていきます。12月・1月くらいまでなら踏んでも平気だそうです。稲を収穫し稲木を崩します。また来年、木を組まなければならないので、きちんと組み方を復習しながらの作業となりました。
収穫した稲束から籾を外します。もちろん手で。そんなに量はないので脱穀機を使うまでのないのです。ぺちゃくちゃおしゃべりしながら、たんぼに座り込みのんびり作業。外した籾種は唐箕にかけて来年の種蒔きの季節まで保存です。種をおろし、炎天下での田植え、草刈り、そして脱穀。静かにゆっくりと始まり徐々に盛り上がっていき頂点に達した後、また静かにゆっくりと戻ってくる。そんなドラマをお尻の下に感じます。
午前10時過ぎに始まった川口さんのお話は麦の蒔き方でした。以前の講習は草をざっと刈ってどけておき種を蒔いて、もう一度草をしっかりと刈ってどけておいた草を蒔いた種の上から振りまいておく、というものでした。今回はたんぼの表面がデコボコしてしているところでの作業の仕方です。まず、ざっと草を刈った後、鍬で表面を平らにします。へこんでいるところには盛り上がっているところから土を持ってくるという具合です。鍬で表面をならすようにするのであって、耕すのではありません。終わると麦を蒔き刈っておいた草を振りまいて終了です。
私は麦蒔きを終えていましたので、先月粘土団子を蒔いた畑を見に行きました。粘土団子(野菜・果樹等の種をとにかくたくさん混ぜそれを粘土でコーティングしたもの)とは自然農法の大家・福岡正信さんが提唱するものです。私たちの蒔いた粘土団子は失敗作だという意見もあり、どうなっているか楽しみでした。失敗だというのは、土の練りが足りなかったせいで団子が水に濡れると簡単に崩れてしまうからという意見です。で、実際は?
その人のいう私たちの粘土団子のどこがよくなかったのか判りませんが、少々崩れた団子からは気持ち悪いほど様々な種類の野菜の芽がわんさか出ていました。まるで、何もない枯れた畑に「Bom!」「Bom!」と粘土団子爆弾が爆発しているよう。ほとんどの団子からうじゃうじゃ芽が出ています。とりあえず芽は出ていますが、これからはどうなるのでしょう? こんなに一カ所に密集していて、種が勝手に歩いて行くわけではないし・・・ まっ、これは実験ですからこれからが楽しみです。
実際、少々崩れても芽の出ている粘土団子を見て、条件のよい日本のような気候のところではわざわざ団子にして蒔く必要もないのではないかとの見解をいまのところは持っています。砂漠のようなところでは自然から種子を護るために団子にして蒔く必要があるように思いますが。
たんぼを見、畑を見て今年のすべての作業が終わりました。一年はあっという間でした。あの時は何があった、この時はどうした、思い返すとやはり長いものではあります。赤目自然農塾で学んで2年。今年はお米がある程度の収穫をみせ、収穫間近の野菜がイノシシにやられたり、粘土団子を蒔くことができたりとまさに様々な収穫のあった年でした。1年目は1年目の、2年目は2年目の課題が見えてきます。終わりはありません。飽きっぽい性格の私も知らず知らずの間にのめり込んでいるようです。
東京に生まれ東京に育ち、土をさわったのは子供の頃のお芋掘りくらいという私が自然の流れに沿いながらの農に取り組む。最初はまったく知らないことばかり、今でも知らないことばかり。でも、農の楽しさは少し判ってきました。来年は3年目。まだ続けるのかというあきれ声を追い風にして、また自然農塾で学んでいきたいと考えています。
3年目の来年は米作り・野菜作りというよりは、もっと作業全般のこと、山全体のことを学んでゆきたいと思っています。例えば今年、私の田の畦がモグラの穴が原因で大きく決壊しました。私はどうすることもできず、ただ呆然とするばかり。こうではなく、決壊したらそれを自分で直せるようにならなければならないと思いますし、また決壊する前にモグラの穴をきちんと見つけ処置できるようにならなければならないと思うのです。さらに、赤目の山ではイノシシの問題が浮上しています。これにどう対処していくのか。私が実際にいつかどこかで農を始めたとき、同じ問題が出てこないとは限りません。やらねばならないことは山ほどあります。来年も楽しめそうです。
自然農体験記・了